観劇記録

戦う者の歌を聴かせて

2022/11/13 ミス・サイゴン大千穐楽

今年のサイゴンのまとめは他の記事で書くとして、大楽の感想を書くにあたって書いておきたい「今年のサイゴン」についての雑感を最初に。

開幕してすぐ思ったのは、ベトナム戦争の物語を上演するのではなくて「2022年の今、上演する」ことに重点を置いてるんだなと思いました。

だから時代背景はさくっと説明的なシーン入れたりして、より重要な「戦争の惨禍により傷つけられる人の心」をキャストによって表現しようとしてるのかな、と。

2016年と比べたとき、演出面でのあらゆる変更点は、凄まじいほどの戦争への怒りが迸っていました。

レ・ミゼラブルミス・サイゴンメリー・ポピンズ、オリバー!などを手掛けるマッキントッシュ社が権利を持つ作品はフランチャイズ方式を採用していて、イギリスから演出だけでなく音響から何もかもスタッフが来日しています。

2022年、彼らスタッフたちがイギリスを発つとき、ヨーロッパではロシアによるウクライナ侵攻、及びロシア軍が去ったあとのウクライナの街での重大な人権侵害や虐殺について多く報道されていたのでは、と思います。

だからこそ、いっそ憎悪とすらいっていいような戦争への怒りがこの演目に反映されたのではないでしょうか。

今年のサイゴンの演出家(演出補ではなくなったそうです)JPの言葉を引用します。

私たちは、人間が人間らしくあることに責任を持つべきで、そして人間らしくあることは、権力者がこだわる土地や国境や政治なんかよりずっと重要です。

ミス・サイゴン2022』パンフレット「CREATIVE’S CROSS TALK」より

 

昆キム

今年のキムは幼い、と私は思ってきたのだけど、やはりこの日の昆キムも冒頭幼くて、ドリームランドの喧騒の中で驚いてるんですよね。怯えもあるけど、驚きが強い。

(「名前はキム、好きよクリス」「やめろよ」に対して)「私、何か言った?」も、エンジニア(大人)に米兵にはこう言え、と言われたそのままを言って拒絶されたので、ただひたすら驚いている。何か悪いことしたかな?の怯えの雰囲気はあんまりない。

だからこそ「良い人。…何も言わずに」とドリームランドの喧騒からクリスを引っ張って出ていくのが切ないんですよね。

「君はこんなところにいちゃいけない」とクリスに金を握らされたところで、いずれにせよ自分は体を売らなければならないことを理解していて、それなら優しいクリスがいい、となってる。ドリームランドの女たち、「我が心の夢」を通してキムは自分の置かれた状況を理解してる。

これは相手のクリスによっても違うけど、昆キムはドリームランドの時点ではクリスに恋心を懐いてはいない。(海宝クリスに対しては好きなんだろうな、と思った。マリエポの積み重ねよ…)

身の上話、今年は「クリスに聞いてほしかっただけ」に見えたこともあったけど、この日は怒ってた…たぶん直前のクリスの様子を反映してて、この日の小野田クリスは「どうでもいい、君が誰でも」がキムにぶつけるような感じだったからかな。(ここ、内に籠って自分に言い聞かせるクリスもいるよね)

「どうだろう」「なんなの」「このまま二人で」からずっと昆キムは驚いてて「君だけだ」って言われたときにようやく飲み込む。ここで「我が心の夢」の「私のために命かけて戦う人」という歌詞がクリスと合致してしまう。

(「我が心の夢」、日本語歌詞だと結構意味が落ちてしまってて、英語だとhe'll fight for me instead/He'll keep the fear at bayなので、二幕のナイトメアを思うとすごくつらい)

私は今年のサイゴンで「これは本当に恋だったのか?」ということをよく思ってたんだけど、昆キムは恋だったな、と思う。

この日の昆キムはここで恋になったな、と思った。

今年のキムは「幼さ」を強く打ち出したキムだと思ったんだけど、昆キムは成長していくんだと思った。たぶん、タムを生んで守らなければならないものができたから。

「今も信じてるわ」でもそれが伺えるんですけど、キムは「あの人は戻るわ、なぜかわかる」と言いつつも、エレンのパートに移ると昆キムは地面に伏して項垂れたり、座ってる重心が傾いたりして不安が見える…。本当はクリスが戻らないことを知っているんだと思います。

聡いんですよね…。本当は知っていて、知っているけれども、「自分の信じたいこと」にだけ視点の照準を合わせてるような感じがしていました。目を逸らすのではなく、不安よりもずっと大きなもので、不安を打ち消して塗りつぶしていく。意固地ともいえるような気の強さ。

だから松原エレンに「クリスの妻、エレンよ」と言われた瞬間に、昆キムはプツッと糸が切れたように椅子に座り込むんじゃないかな。ずっと思い込もうとしてきたものが、微かにひび割れていたものが、毀れるように崩れていく。

この日、神田トゥイもキムの向ける銃口に向かいながら「なぜだ」といい、フィナーレで小野田クリスもキムに「なぜだ」と言ったのですが、この「なぜ」は、昆キムの意固地さに向けられているものなのかな、と。(泣かない、考えない…抱かれて寝ようと心はあげない…固く瞳を閉じている)

昆キムは物語の中で成長するキムだけれども、物語の始まるよりも前から決定的に毀損されてしまって、その穴がそのままの形で大きくなってしまった…という印象がありました。

以前、英語圏では最後のキムの自殺は不可解なものに映るらしいという噂を聞いて、なんでよ!と憤慨したものですが(当時のキムは、クリスに瑕疵を負わせることでタムの将来を保証せざるを得なくさせる、という印象でした)、ここでJPの言葉に立ち返って「この物語で最も人間らしくないふるまいをしたのは誰か」と考えると、それはきっと最後のキムなんですよね。

自らの命を絶つほどの狂気。

昆キムは「自殺せざるを得なかった」けれど、彼女にそうさせたのは、彼女にぽっかり開いた穴だったのかもしれません。あとはカルマに追いつかれたのだと思う。(トゥイのところで後述します)

 

※この自殺についての概念は、自殺が大罪であるキリスト教からの見え方が関わっているのだろうなと思います。

ベトナム戦争当時、南ベトナムの農村に深く食い込んでいたのはベトコンと仏教だといいます。仏教の僧は政権に抗議するための焼身供養を行うことがありました。この焼身供養は誓願成就のための自殺と通底すると思うので、やはり「クリスに瑕疵を負わせることでタムの将来を保証せざるを得なくさせる」キムは仏教的な見え方なのかもしれません。

 

小野田クリス

帝劇ぶりに見たらものすごく幼くなってて…なんなんですか???

「嘘だろ」「本当よ」「女は逃げたくて嘘を」のあたりですごく子供だ~!って思ったのかな。キムを疑ってるというよりも一瞬戸惑って、どっかから借りてきた言葉を話してる感じ?

あんまり相手のことも、後先も考えずに発言してる、若さゆえの向こう見ずさというか…20歳前後、下手すると20歳越えてない、くらいに見えた。

(「クラブにいます、愛を売りに」に対する)「駄目だ。駄目だそんなこと」も何にも考えてないで口に出してしまった感じで、口に出して自分のやりたいことがわかって、そのままの勢いで「どうだろう」に繋がる感じ。

「世界が終わる夜のように」でロミジュリだし、トニーとマリアだな、と思った。米兵の傲慢と無邪気ではなく、若さゆえの傲慢と無邪気。戦争も何もかも二人なら越えられると無根拠に思い込むくらい、この日の小野田クリスは幼かった。

だから、なおさら酷い話だなとなった。大人たちの始めた戦争によって、幼い恋人たちが壊されていく。

たぶんだけど、帝劇公演から察するにJPが描いた絵って「クリスも立派な加害者」という絵だと思うんだけど、この日の小野田クリスはそうはとても言えなくて…小野田先生って「作品の中の最も整った形のパーツ」になるタイプの役者だと思ってたから、面白い目が出たじゃん!となりました。いや結果としてはすごーーく酷い話になりましたね。

銃で腹を打ったキムに駆け寄りながら「キィィイイム!」と言ってたんだと思うけど、何かすごい声が出ていて、キムを目にして、怯えるように尻もちをつく。

ベトナム戦争は前線のない戦争と言われ、あるいはいずれの場所も前線だったのだから、クリスは死体も酷い怪我人も見慣れざるを得なかっただろう、と思う。そのクリスがあれほどの反応を見せるのは、相手がキムだったからで、「俺の銃で顔を撃たれて悲鳴あげた、夢の中で」の悪夢の再現のように思えたから、かな。

血を流し横たわる昆キムを小野田クリスが抱えたとき、このシーンの二人はキムの歌詞だけではなく、体勢も「サンアンドムーン」のときとものすごく近いのだ、と初めて気付いて…あのとき一瞬、二人とも幼い恋人たちに戻ってるように見えたから気付けたのだと思う。

この日の小野田クリスは、フィナーレ後、また酷いPTSDに苦しめられるのだろうと思った。戦争によって壊されたこどもたち…

 

松原エレン

私は彼女のことを、現代なら「アクティビスト」を名乗るような女性だと思っていて。アクティビスト、政治活動家。不正や不平等を許さず、自ら声を上げ、SNSで発信する。現代ならそういうタイプの女性だと思う。

メイビーも感情ではなく正しさを求める気持ちなのかな、と。

この日の松原エレンで印象的だったのが、キムの「タムがブイドイで、未来がないというのなら」に対して首を振っている姿。未来がない子供などいない、いてはならないと信じる。それが彼女の正しさだから。

 

神田トゥイ/キムの業

神田トゥイ、西川トゥイとの対比で相対的に優しいトゥイだったのだけど、特にこの日は「恋に破れた不器用な男」としてのトゥイが強いように見えました。

キムを追い詰めながら不意に泣きそうになる瞬間がいくつもあって、どこだったか「お前は俺と行くんだ」の前で、キムの手を優しく包んでて…連れて行くために手を掴んだのではなく、手を包んでるように見えた。

昆キムと神田トゥイだと、子供のころからよく知ってたんだろうなという感じがする。頑ななキムの言うことに、最後は折れてくれてた神田トゥイ、というような幼い姿が見えるよう。

だから、昆キムも「トゥイならわかってくれる」と思ってたのかしれない。この日の昆キムは神田トゥイの気持ちをきちんと受け止めているように見えました。

キムがトゥイを撃ったのも本当に偶発的な事故で…無我夢中でただ弾みがついて指が引き金に触れてしまった、みたいな。

背後から撃たれて仰向けに倒れたトゥイの左腹に開いた穴を押さえる昆キムを見ながら、開いた弾痕と軍服に広がる血…と思ってました。(銃弾は回転しながら動くので、体に射入するときより射出のときのほうが弾痕は大きく、花のような痕を残して出ていくそうです。)

神田トゥイは自分の左腹の銃創を押さえる昆キムを見て、なんだかちょっと笑ってるように見えた。キムの頬に手を差し伸べて、キムもトゥイの頬を手で覆って…この日の昆キムは、神田トゥイの気持ちに応えることはできないけど、気持ちを受け取ることはしてたから、神田トゥイは最期のとき昆キムを責めなくて、許していたんじゃないかなぁ。

だけど、だからこそ昆キムには「殺してしまった」というカルマが大きく伸し掛かってしまった…。それが二幕のナイトメアのトゥイの亡霊に繋がるのだ、と思いました。

ナイトメアのトゥイの亡霊が、実際にトゥイの霊魂なのか(生きているときのトゥイと地続きなのか)、キムの幻覚なのか(生きているときのトゥイから切り離された存在か)、はキャストやそのときの芝居の積み重ねによっても見え方が違うものだと思います。英語歌詞ではI'm here! I am the guilt inside your head!とあるので、どちらかといえば幻覚寄りの存在なのかもしれないけど。

この日のナイトメアの神田トゥイの亡霊は、キムの幻覚なのだと思った。

亡霊の「銃弾がまだこの胸に」のところで、神田トゥイは左腹を押さえていた。あれは、キムが見たトゥイの最後の姿(左腹に弾痕を持つ姿)なんですよね。

そして、最後に昆キムが自分を撃つのも左腹だった…。

昆キムはトゥイを殺して以来、自分のカルマをずっと意識していると思っていて、ジョンにバンコクで会ったときに「ようやく許された」と歌うときに、昆ちゃんの元々黒目がちの目が一層黒々と見開かれていてなんだか怖いんですよね。

「殺した罪 逃れられるか」は誰よりも昆キム自身が思っていたことなのでしょう。

だからバンコクで「ようやく許された」と歌うけれど、エレンの存在により許されてなどいなかったことを知る。悪行の報いを受けている、でもその業に、タムを巻き込むことはできない、だから彼女は、自分の左腹を撃った…。

 

市村エンジニア

前なら流してたようなところも慎重に置きにいってるな、大楽だからかな、と思っていたのですが、まさか引退宣言するとは…。

日本では市村エンジニアから始まっているからそらそうといえばそうなんだけど、私のエンジニア解釈(混血のくだりとか)って元を辿ると市村エンジニアなんですよね。

私がこうして見たものを文章にしてるのは、自分の見たものを他人に伝えたいからなんですけど、私の思う「エンジニアってこういう人」の像については、市村エンジニアを観ろ、と言えばいいくらいに祖。

とにかく、お疲れさまでした。ホリプロは早く『生きる』再演かけてください(一番好きな市村さんの役)