観劇記録

戦う者の歌を聴かせて

Les Misérables 2021/5/30M(アンジョコンプリートのため初週差分・共通項など)

画像1

(手ブレ補正はしてるんです……)

福井バルジャン

ジャベールの介入のときしゃがんでて、ジャベールに手を取られて立ち上がる。馬車の暴走のあとのシーンの再現のよう。
増原司教の「あなたの魂」で掲げられた手に福井バルの体が吸い寄せられてた。
独白、「どうして許せよう、魂に触れて」あたりだったかな、苛ついたように鞄を投げ出していて、変わらずにいる(この世に憎まれ、この世を憎み続ける)ことは安穏としていて、平易な道で、今司教に魂に触れられて変わっていくことへの強い痛みと恐れがある。
波止場、「私がした」のところで知念ファンテに差し出した手をそのままに固まっていて、本当に、自分の何気ない行動で苦しむことになったファンテを見て愕然としている。
福井バルは市長としても責任感を持ってやっていて、工場を追われて苦しんだファンテもまた市長として、彼が守り、養うべき人だったんだな…と思う。
ファンテを看取るときの行動、あやすように、安心させるようにしていて、ファンテが死んだあとも瞼を閉じさせてあげて、毛布をかけて、親が子にするように、ファンテの頭にキスをする。
裁き、「誰だ、その男を奴隷に、陥れてしまうのか」のころには「内奥」からの問いかけになってて、あの曲の間に2つの「正しさ」である大義と内奥のうち内奥の声が大きくなってる。
大義:町の人、工場の人、バルジャンが市長として守り養っている人への社会的責任)
(内奥:司教に与えられた「愛」)
大義と内奥の相克は今年の福井バルジャンで強く感じる。社会的責任への意識は年齢重ねてすごくしっくりするようになった。

橋本テナ

私はテナルディエという役の本質を下水道に見てるんですけど、「神様見て見ないふり」の天を見上げてのある種の憎悪、じゅんテナは神様に見離されている感覚を持つテナだと思った。
もっと若い頃に、神様にものすごく願って願ってかなわなったことがあるんじゃないかな。見離されている、だから踏みつける。
取引で「すぐに忘れるだろう」のところで福井バルジャンに肩を叩かれてびくってなってた。(ここ森マダムの「ばいばーい」もやっと厄介払いできたわー感に溢れててよかった)

いろはコゼット

かわいくてかわいくて目にいれても絶対痛くない。
死に際のバルジャンの手に息を吹き掛けて暖めてたね。バルジャンが召されたあと、崩れ落ちて泣くけれど、手紙を開いて笑顔になる。ここ、今日は内藤マリウスと目線を見合わせてて、二人で手紙の同じ場所読んでるってわかった。
ただバルジャンの「ああコゼット、寂しい子よ」、福井いろはの組み合わせだと、もしかしてパパ…直前のコゼットのテンションMAX独り言フィーバーの様子見てて「(友達がいなくて独り言が多くなった)寂しい子よ」と言ってる??と思ってしまう

内藤マリウス

すんごいよかった…!
19年でも福井・内藤ですごく泣いたの思い出した。(19年、苦しむ福井バルジャンに対して「誓います、コゼットのため」で微笑むのがよかった。内藤マリウスはバルジャンを慕っていて別れたくない、そして福井バルジャンは闇が濃いバルジャンだからこそ、福井バルジャンを助けたくて微笑んでいるようで)
そういえば、バルジャンの告白でプレ→初日は若干ベンチ右よりに座ってたけど今回真ん中座っててニコニコしちゃった。確認して真ん中座ったね?
この日の内藤マリウス、バルジャン「破り捨て逃げ延びた」あたりで(まさか…)って顔をしはじめて、「あの子のためには隠しとおさねば」で背中丸めて俯いて首振ってて、やっぱりバルジャンと別れたくないマリウスなんだって思った。「頼むよ」で福井バルに襟元掴まれた内藤マリが頷いて、バルジャンに右手掴まれたまま「誓いますコゼットのため」
プレや初日だとここバルジャンの手を先に離してた気がするが、この日はそんなことなかったかな。
エピローグ、「最後の告白を書いた、ごらん召されたあとで」で福井バルが内藤マリ見て、そのとき内藤マリ見たら泣いてて、プレや初日でも失う痛みを知ってるマリウスだったけど、バルジャンの死で泣くマリウス、砦から救われて告白で別れるまでにバルジャンとマリウスがどんな関係だったか分かって好き。
内藤マリウスは原作マリウスの父の死に立ち会えなかった、今は亡き父の影を追う背景をすごく感じさせる。
あと波止場でファンテの惨状見て固まる福井バルジャンと「僕をここに連れてきてくれて」でエポニーヌぶん投げる内藤マリウス、無神経さの種類がなんか似てて、擬似の親子として納得する…笑

木内アンジョルラス

ケントルラス、まだ雛アンジョって感じ。大きく育てよ。
小野田アンジョが最初から「成鳥ですが?」みたいな顔してたから久しぶりの感覚を得た。
登場順から書くとアンジョルラスバイトの話になるんだけど、司教館の外の木内見物人、すごい笑いながら屈んでバルジャンを覗き込んでてめちゃくちゃ野次馬してた。あれ、現代ならスマホでバルジャンの動画撮ってSNSにあげるタイプだ。
さて、アンジョルラスの話。
東大アンジョと巷で言われてるんだけど、私それで東大英語劇のアンジョルラスを想像してしまうので(レミゼやるって聞いて観に行った。美貌のグランテールが印象的だったんだけど今はそのグランテールの彼も役者やってる模様)ちょっと置いておく。
ABCカフェ、マリウスをやんやと囃し立てる学生たちの中でちょっと苛立った印象。
「マリウス、わかるけれど」
ケントルラスはわかる気がないタイプ。
余裕がないなという印象があって、これは回数重ねると変わりそうだから今しかない雛感を愛でる…アンジョルラスのおたくなので…
ベテラン多くてうまい学生アンサンブルをまとめて、場を引き付けなければならないから、毎年新しいキャストは大変だなーって眺めてる。小野田くんも19年このへん余裕なかった気がする。
「ラマルクの死」のあともアンジョルラス正気で、そういう意味で若い!青い!って感じだった。
ラマルクの死で彼岸を見ちゃうアンジョルラスにはネジが飛んだヤバさを感じて、正気のアンジョルラスには決起の浅はかさを感じる。
二幕。
今年は「その男はあなたに任せましょう」をクルフェが反対するのね!(もちフェも今フェも反対してた)
アンジョが砦戻ってきたときに「アンジョルラス!」って今フェが食いついてて、ケントルラス「(銃をがんってやって皆を静めつつ)夜はすぐ更ける」のあと、今フェをなだめてた。気配りアンジョ。
ジャベのスパイバレのときにケントルラスは自分の失態だと思ってて、後悔したあとで次を考えてる。エポ死のときに川グランに責めるように見られたときも失態を自覚してる顔してた。
DwMで杉浦フイイが歌い出したとき、ケントルラスは微笑んで下手の上から降りていってて、川グランが歌い出したときも(まったくあいつは、しかたないな)みたいな顔して苦笑してて、降りていこうとした古川コンブを片手で止めて自分が砦降りていって、グランテールを説得しようとしてた(つたわっていない感…)
合議制の砦はすごくわかるんだけど、ケントルラスは人のことをわかりたいけどわかってなくて、グランテールのことも説得しようとするし、最期にグランテールに起こされたときもやっぱりわかってない。このわかってなさやガブ死から「死のう」までのイメージがリオンジョっぽいよねえ分かる分かる…とフォロワーの感想を読んで思った。

アンジョルラス差分

回数重ねて変わることが考えられるので、あくまで初日開けて初週の差分ということを念頭に置いて読んでほしい。
・レーグル治安官に三色旗を咎められたときの反応
小野田アンジョは「え?僕たちじゃないです(しれっとしてる)」
相葉アンジョは「何か????????????(キレ)」
木内アンジョは「さあ、元からありましたね(スンッとしてる)」
ここ相葉アンジョが一番好戦的かもしれない…笑
・エポ死のときグランテールに責めるように見られたときの反応
小野田アンジョは言われたくないことを指摘された顔してる
相葉アンジョは何か噛み締めてる顔してる
木内アンジョは失態を自覚している顔してる
・ガブローシュの死
小野田アンジョは「市民は来ない」から徐々に崩れ始めてガブ死で瓦解、崩れ落ちる。砦に座り込む。
相葉アンジョは人の心がわかるようになったので色々背負った重さでガブ死で一度崩れ、思考が飛んで「死のう」。座り込むっていうより思わずおしりついちゃった感。
木内アンジョは膝はつくけど座り込まない。わりと正気に見えた。

アンジョルラス共通

・「立つのだ仲間よ世界に自由を」
トリプルアンジョルラス見れたので確定なのだけど今年は「世界に自由を」はアンジョルラスみんな客席みてるね。
途中までは砦の下見てる。「仲間よ」から客席みるのが相葉アンジョで「世界に」から客席みるのが小野田、木内アンジョ?
「自由を↑」全員あげてる。

アンサンブル覚書

・宿屋の杉浦くんはトンチキおどり固定なの?後ろ姿可愛い
・川島グランテール、アンジョに怒られたあとで1回牛モドキでアンジョ突きにいってるからリーダーに向かってなんだその振る舞いは(ケントルラスは先生ではない)
・川島グランテール、19年からなんですがなんかアンジョルラスのガチオタ感があって他人とは思えず応援してるんだけど、19年はライブ会場の後ろで腕組んで見てるタイプのおたくだったのに、今年は古参厄介おたくみたいになってる
・ケントルラスの「市民は来ない僕らは見捨てられたのだ」でどんどんうなだれていく今フェ、「それでも僕らは恐れる市民を見捨てない」で顔を上げて立ち上がってた