観劇記録

戦う者の歌を聴かせて

フェリス女学院大学音楽学部舞台芸術ゼミ16期の卒業公演レ・ミゼラブル

フェリス女学院大学音楽学舞台芸術ゼミの卒業公演レ・ミゼラブル行ってきたのでそのまとめ。

フェリスレミゼ

バルジャン、ジャベール、マリウス、アンジョルラス、テナルディエ、学生アンサンブルが客演の方で、他は全員フェリスの学生さんかな?

1幕、石切場から始まったものの、基本は新演出ベースかなと思いきや、2幕は今は消えてるメロディ(ジャベスパイバレ後のガブソロ、バルジャンの告白のところ冒頭等)がいっぱい出てきて楽しかった!
教育機関の卒業公演らしくファンテのくだりや宿屋はマイルドになってた。

印象的だった改変は、ミリエル司教がシスターになっていたことと、恵みの雨のあとの学生たちの振る舞い。

ミリエル司教のプチソロはシスター、女性の澄んだ声で語られることでメロディの美しさが際立って、ああここは神(代理ではあるけれど)の語り掛けなんだなと改めて思った。背景に映し出される、日の光が差し込む教会の写真も美しくて(教会は「光の建築」と呼ばれる)バルジャンの暗い人生に差し込んだ光、差し出された救いの手が、目に見え耳に聴こえる形を取ったようだった。

それと、シスターが去り際にバルジャンに燭台手渡したとき、少し微笑んで頷いていて、それがすごく良かった。後述するけどこのバルジャンは正しさを探してるというか、自分の選択が正しいものであるように願ってる人に見えたからなおさら。

もう一つ印象的な改変が恵みの雨のあと。DwMのオケのメロディとともに学生たちがエポの死を悼んでいた。このエポはABCカフェにもいたし「仲間の一員」だったんだなあって思った。

これはオケの話だけどバルジャンの独白の「パン一つの罪で(just for stealing a mouthful of bread)」のあとのジャジャーン!が物凄く強く響いて…このときバルジャンが何かを見上げて衝撃受けてたんだけど、同じところで本舞台(CM社のレミゼ)ではバルジャンが背景の教会を見てたとこだと思う。
ここでバルジャンには教会の上の十字架がきっとものすごく大きく、うわって目に入ってくるんだろうなぁって今更ながら気付いた…。ここのオケの強調が本舞台で観てるときよりもよく響いたんだよね。

さてバルジャン。
これは正しいか?と迷った自分の選択が、本当に正しくあるように願ってる人であり、自分の選択を正しくするために頑張る人。聖人ではなく神が見えているわけでもない、等身大の人だなと思った。

その彼が初めて迷わずに心から沸き上がった衝動が「まだ若い彼の代わりに私を死なせて」というBHHなのかなと。

このBHHのあとだからガブローシュの死がつらくて…
字幕あんまり見てなかったけど、マリウスとアンジョを止めたバルジャンが「君たちはまだ若い、代わりに私が」みたいな訳出されてたと思う、その直後だから。一番幼い子供が死んでしまった。

ジャベールは、「バルジャンに成り得たジャベール」だなと思った。

容易に感情を表さないし悟らせもしないが、堅実に実績を積み上げてきたのがわかる叩き上げ鉄面皮タイプ。…だけどバルジャンに逃がされて戻ってきたバリケードで、若者たちの死体(ガブの死体?)を見下ろしてどこか悼んでるように見えた。
バルジャンに逃がされて自分が信じてたものが揺らぎ始めて、戻ってきて見たのは未来ある子供の死体で。揺らいだまま下水道の出口で、若者であるマリウスを生かそうとするバルジャンに会って崩れる…どこかで何かが違えば「若者を生かす」側に回っていた、そういうジャベールだと思った。
あと、スターズの最後の歌い上げアレンジすごくて星が大爆発してた。

総じて、バルジャンやジャベールのありようから、教育機関でやるレミゼであり、若者を送り出すはなむけとしてのレミゼであり…というのをすごく感じたレミゼでした。

ところでファクガとマダムテナやってたのは同じ子だと思うんですがどこかで舞台のお仕事されてる子なんでしょうか…「あの子は誰」しちゃった※ミュージカル部の助演の方だった!

YSLキャスト別雑感と組み合わせ雑感

<各キャスト雑感>

 

■東山イヴ
一言でいえば「脆弱」。自我が脆い。才能という背骨をなくしたら彼は粉々に砕け散るだろう。
最初から最後まで一人にしたら3か月で全財産を失い、半年で野垂れ死にしそうだと思っていた。自分を守る手立てを一切持たない。
オープンすぎて信じやすい。ある種の白痴美であり、才能の入れ物、ないし触媒として機能する最低限の自我しか与えられていない。
言ってしまえば東山イヴはピエールなくしては危うい脆弱な精神の持ち主で、才能があるぶんだけ却って付け込まれやすい、「そういう子」だった。
流されるままに流されていってしまうので、結局のところ浮気や乱行も慣性になる。
どちらのピエールでもオピウムのあとは「互いにまだ必要としているけれど一緒にはいられない」感じがする。
リオウエハラいわく「ブラックダリア」。

ウィーン版M!の話になるんだけど、Oedoヴォルフに近いものを感じる。円盤で観れる男爵夫人は聖性が強く、それだけにヴォルフの白痴美は神の意志という感じがする。
そしてM!はヴォルフの私生活がグシャグシャになってから最高傑作ができるというストーリーなので、ヴォルフを破壊することで才能は真に開花したと読める。つまりヴォルフという人格は、アマデの養分ないし触媒であり、壊されるための「器」として神が設定したに過ぎない。(ほんとうはこわいモーツァルト

■海宝イヴ
一言で表すなら「潔癖」。
きちんと自我を持って生まれている。内側にずっと誰にも触れさせないものを持っている。それはおそらく才能の泉で、絶対に守らなければならないと思っているから最初は外界に対して臆病になっている。
人並みかあるいはそれ以上の頭脳があり、巨大な才能をコントロールすることができるし、才能をある程度は相対化して認識することが可能。
成功して芸術家たちとの交流が増えるとアーティストとしてのプライドが芽生えるが、同時に売れるものと求められるものの乖離に気付いてくる。ライセンスビジネスも好きではないが、オートクチュールのショーのための資金を稼ぐには一番手っ取り早いのはわかるから、どうしようもなくて酒と薬に逃避した。これは海宝くんどの役でもそうなんだけど、非常に整合性がある。
トータルではなんとなく育三郎ヴォルフに近いものがあるような…
リオウエハラいわく「白百合」。レミで「大希は可愛い、海宝くんは情熱的」って言っててうんうん、って思ってたのにここにきて白百合。リオウエハラそういうとこある。

<2/28追記>
2/27ソワレ観劇して、もうこれ別物だな?って思ったんだけど、元からこうでリピートしたからわかったのか、あるいは変わったのかが判断できないため追記の形に。
冒頭の回想をするピエールの台詞「イヴが本当に求めていたのは故郷だったのかもしれない」
戦争のシーンにおけるイヴの歌詞「心の故郷が壊されていく、頭から血を流して」
海宝くんはここを核にして造形している気がする。
「永久の異邦人」が海宝イヴ。帰りたい、帰る場所がない、それでもどこかに帰りたい。
まず最初に思ったのが東山イヴに比べ母という存在への思慕が強い。ママが動くといちいち反応する。己の才能に自負と若干の怯えを持つ内気な少年。
YSL観るたびにイヴのアルジェ時代の恋人が出てくるタイミングがいつも気になっていた。
帽子からするとおそらくムザブ人。アルジェリアイスラム教徒の少数民族だと思う。
アルジェリアの民族解放運動に対し、イヴはフランス人兵士として民族解放戦線と戦うために戦争に送られることになったけれど、ピエ・ノワールの訓練シーンでムザブ人の彼が出てくる。
これ、元カレが民族解放戦線の戦士になってるんじゃない?
そこで畳みかけるようにママの「植民地支配の土地に暮らすフランス人はフランス人ではないと言われる」が来る。
おそらくこれは訓練の中でイヴにもぶつけられた言葉だろうね。
内気で繊細だが、(東山イブに比べればまだ)健全に育ってきた海宝イヴは、ここでアイデンティティを引き裂かれる。
フランス人だけどフランス人じゃない。故郷であるはずのアルジェリアは敵となった。
インシャー・アッラー中東戦争のシーンでも意味ありげに上手からムザブの彼が出てくる。近現代の戦争で「故郷」を喪失した多くの人々。
イヴは失われた「心の故郷」をファッションの世界に求めた。僕は僕のために生きる、理想を求める、の理想は「心の故郷」ユートピアなんじゃないか。
で、対するピエールはフランス生まれのフランス人。芸術の世界では男同士でも、自分を偽る必要はないと知っていた、とルルちゃんが言ってた気がする。
イヴが戦争で傷ついたことやアルジェリアを失ったことはわかっても、自分が何者であるかのアイデンティティに悩んだことは多分ない。これがイヴとピエールの間に悲劇を引き起こす。
ママへの思慕は、母なる故郷、ということなんじゃないかなぁ。
やはり海宝くんは非常に整合性が取れているな…頭のいい人だ。

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どちらのイヴにも共通しているのは「あざとさ」。
「両親がパリに来る」のくだりは、どちらもどう言えばピエールが「家を買おう」って言うか分かってるよね。
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■上原ピエール
インタで東山さんが紳士と言っていたと思うけど、ワンマン社長みたい。
イヴを支えながら自分自身もファッションというビジネスに夢や希望を見出している。
コンスタンツェのようだと言ったけれど、基本的には愛を返してほしいピエール。
「助けてやりたい」「守ってやりたい」という気持ちも強く、時に独善的になる。
また戦争を語るとき(「国境という線は人の死体でできている」)に厳しい顔をする。一瞬前世の記憶でも思いだしてるのかと思ったが(彼基本板の上で武器持ってることが多い)、自分の中に倫理のスケールがある人なのだと思う。
だからイヴのことを信じ切っているし、イヴの不貞に気付かない。
イヴのオピウムのときに滅茶苦茶ショックを受けている(東山イヴのときはよろめいてさえいた)。
根本的にまっとうな人。なんでイヴなんかに惚れてしまったの…

■大山ピエール
健気!なにあの包容力。
イヴの幸せが自分の幸せ。イヴを支えることそのものに喜びを見出す人。
レオポルドのような、と言ったけれど無償の愛に等しい。M!の心を鉄に閉じ込めて、原語だと「私のようにお前を愛する者はいない」だそうだけど近いものある。
1ラスの手の繋ぎ方、手のひらを上に向けてイブがそこに手を乗せるのを待つ。
強い意志を持つわけでないからこそイヴのことをしっかり見ているよね。
二幕でイヴの様子がおかしいことも察している。浮気バレのときに「やっぱりか…」という顔をしていてしんどい。
必然的にイヴに惹かれてるのでイヴに人生捧げる以外の選択肢がない。だからあの現場を見てもイヴを見捨てることはできない。
上原ピエールのときに出現する「許す/許せない」「受け入れる/受け入れない」という選択肢は彼の時は出現しない。
なぜならイヴのそばでしか彼は生きていけないから。
あと純粋に歌詞が台詞として届くのがすごくいい。彼には選択肢がないことがよくわかるからこそ、ピエールのソロが哀切。

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<組み合わせ雑感>

【東山大山】
一番しっくりきたのがこれ。
流されるままに流される自我が脆弱なイヴと、確固たる意志を持たないピエール。
イヴは常に庇護者を必要とし、ピエールはイヴのそばで生きるという選択肢しかない。
オートクチュールに未来はない、これからはプレタポルテの時代だ」だったかな、クチュリエとしてのプライドを持つイヴにそう言ったあと彼は顔を歪める。イヴがその言葉で傷ついたのを知っているから。
観た組み合わせの中では最もラストが自然だと思えた。
ああいう場面を見せてしまった以上、イヴから歩み寄ることはできない。ピエールも踏み込めない。どちらかが動けば変わりそうなのに、それも不可能。
シャネルの「ビジネスでの信頼関係は永遠の愛にも等しい」は救いなのか慰めなのか、両方あるような気がする。
永遠の愛にも等しい関係に帰結することが「できた」から救い。
ビジネスでの信頼関係に帰結して「しまった」ことへの慰め。
どちらも取れる、とてもエモい組み合わせ。

【東山上原】
自我が脆弱なイヴと自我が強いピエール。
イヴがピエールを表して「太陽」というのが一番似合う組み合わせ。
ピエールにワンマン社長っぽさがあり、イヴに現世的な才覚のなさをひしひしと感じるので、互いに自分にないものを感じたのかな。
イヴが戦争で壊されてくるまでは、ピエールも才能に対する敬慕?敬愛?そういう気持ちが強かったように思う。
精神病院でイヴを抱きしめるときに初めてピエールはイヴの後頭部に手を置いて抱きしめていたので、ここで「守ってあげたい」みたいになっていそうだと思った。それでその後、ピエールの中のイヴ像があまり更新されなかったのではないだろうか。
キメセク乱交バレのとき、ピエールは小さく呻いてよろめいていた。イヴがこんなことするなんて思いつきもしなかったんだと思う。
上原ピエールのときの東山イヴは流されるというよりも気持ち良いことが好きで浅慮なイメージがあった。
上原ピエールは自分の中に倫理スケールがある人で、東山イヴは結局のところ乱行は慣性になる。
イヴの性質を「受け入れるか/受け入れないか」という選択肢で、ピエールは「受け入れる」ことを選んだ。
ラストは少し以前より距離ができたというか、ピエールは少し冷静になっていたような気がする。かつてのような熱はないが積極的に共に生きることを選択している。
シャネルの「ビジネスでの信頼関係は永遠の愛にも等しい」は救い。互いの性質上、この関係がベスト。

【海宝上原】
一番落ち着かなかった組み合わせ。というか一番深めてほしかった組み合わせ。いかんともしがたいが、上原ピエールはもっと長くやってほしかった。
自分の中に守りたいものがあって外界に対して臆病になっているイヴに対し、もう最初から庇護欲爆発してそうなピエール(ハグのとき最初から後頭部に手を置いてた)。たぶんピエールの中のイヴ像はこの臆病なころから更新されなかったんじゃ?
最初はともにファッションというビジネスにやりがいを感じている。この時点では二人は対等で、イヴはデザイン、ピエールは金策、うまく回っていた時期もある。
だが事業が軌道に乗るとイヴは売れるもの・求められるものの壁にぶつかる。クチュリエとしてのプライドもある。ライセンスビジネスも好きではない。アーティストとの交流でイヴはピエールともズレを感じ始める。そのイヴの変化にピエールは気付かない。その鈍感さ、アーティスト同士であれば1を言えば10通じるのに…というようなトゲ。
イヴは酒とドラッグに逃避する。この時点でだいぶイヴの心はピエールから離れているように見えた。だがピエールの手腕が金を生み出すがために関係を切れない…かのように見えた。多分この組み合わせだからこんなにイヴがずるく見えるんだとは思ったけど、いつまでも保護者気取りのピエールに対する反感もあるのかも。
キメセク乱交バレのとき、イヴは一瞬ピエールの姿を視界に入れてからジャックとべろちゅーしていた。あたかもピエールをわざと傷つけたいのではないかと思うほど。
ここで上原ピエールはイヴの行為を「許すか/許さないか」という選択肢になる。ここで彼はおそらく「許す」ほうを選んだのだと思いたい。
ラスト、上原ピエールのイヴへの感情が微塵も変わってないように見えたんだよね。恋の熱がある。イヴが冷めててピエールに熱があるからピエール可哀想かなって気が少ししたんだけど、よく考えたら怖いな?!って思った。
いや、イヴが別れたくてわざとピエールを傷つけたなら、この結末ホラーじゃないですか?ほんとうはこわいYSLみたいにならないですか?
そんなわけでこのペアのシャネルの「ビジネスでの信頼関係は永遠の愛にも等しい」の解釈は円盤まで保留!一見ピエールへの慰めかなって思ったけど、よく考えたら怖いわ!

この話全体がピエールの回想劇とすると、なんか男レベッカと男ダンヴァース夫人みたいだなと思った。ダンヴァース夫人のようにレベッカの思い出とともにすべて燃やし尽くすには、二人で作り上げたものが巨大すぎたし、上原ピエールはまともすぎたね。

【海宝大山】※2/28追記
2人同じ道は歩けないけど平行する二本の道をそれぞれ歩いていこうねエンド。
出会ったときは二人とも自然に惹かれ合って、すごく幸せ。
おそらくイヴはディオールクチュリエとして働いた時代が一番幸せだったんでしょう。評価してもらえて、友達がいて、恋人がいる。
でもイヴが戦争に送られて崩壊する。最初は変わらないように見えたけれど、イヴは「心の故郷」を喪失しアイデンティティが断絶した。ピエールはフランス生まれのフランス人だからそれがわからない。
オートクチュールのショー「1940年代へのオマージュ」のところで「暗黒の時代」「(フランスが)ナチスに占領されていた時代」と非難され、ショーからイヴの内面世界になりナチスの兵士が出てくる。
ではアルジェリアを占領したのは誰?
植民地下で生まれたフランス人はフランス人ではないと差別したのは誰?
にも関わらず、ここで「あの暗黒の時代を蒸し返すとはフランス人としてけしからん」と言うの?
おそらく海宝くんはここでナチスの兵士が出てくる演出をこう解釈してるんじゃないでしょうか。
ここで海宝イヴを苦しめているのはショーへの非難そのものでなく、彼のアイデンティティの断絶なんだと思う。でも大山ピエールは「オートクチュールに未来はない」と一方的に言って去ってしまう。
「1940年代」≒「母親」は海宝イヴにとって失われた「心の故郷」と同義。
そして最もイヴが幸せだったのは戦争に行く前、ディオールクチュリエとして働いた時代。
それをピエールは否定してしまった。
その後イヴが「オートクチュールはもはや日常とかけ離れた世界にしか存在しない、僕はオートクチュールに夢を描こう」というのが悲惨。それはとうに失われた「心の故郷」を取り戻そうとする試みであり、現実に存在しないユートピアを描こうとしている。
ユートピア、どこにもない場所。
つまり最初から無謀な試みを、キラキラした笑顔でやってるわけです、なんの地獄かな?
そしてやはり「心の故郷」を取り戻すことができないから、イヴは酒とドラッグに逃避する。
大山ピエールの「どうしたら君の帰る家を作ることができる」が哀切。イヴの帰りたい場所はこの世のどこにもないから。
イヴはおそらく自分の逃避行動をある程度知っていたし、イヴの様子がおかしいとピエールが勘づいていることも知っている。どこかで破綻が近づいてることも知っていた、あるいは望んでいたのだと思う。
イヴのアイデンティティの断絶はいかんともしがたく、ピエールにはそれがわからない。足元が確かな者に足元の崩れた者の気持ちはわからないから、ピエールの無意識の言行にイヴは傷つく。でもまだピエールに思いは残ってる。
不貞がばれた瞬間、イヴは咄嗟にピエールのほうに行こうと動く。
でもジャックに抑えられて、ピエールの顔を見て諦める。来るべきときが来た。
イヴとピエールは顔を合わせて、ピエールのほうから先に顔を逸らして足早にイヴの横を通り過ぎた。なんとなくピエールの気配を追うイヴ。未練!
やはりまだ好き、でも一緒にいるのも限界。
その後の掛け合いで「失った人の得難さ」「他の誰にもまねはできない」とピエールについて歌うイヴがしんどかったですね…
最後の2人はそばにいると互いに傷つく、だから少し距離を開けながら、でもつかず離れずいようね…という感じ。
シャネルの「ビジネスでの信頼関係は永遠の愛にも等しい」は互いにとっての救いだね。
その後のショーのシーン、イヴが望んだ世界なのかもね。ピエールがいて、オートクチュールのショーが成功して…という世界。ムザブ人の彼もいる。ユートピア、どこにもない場所、イヴの心が帰る場所。

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またM!の話で申し訳ないんだけど、ウィーンでもイケコでもアマデちゃんがコンスに無関心or嫌悪なのでおそらくコンスは本当にインスピレーションには関係なく、ただし体の相性だけ滅茶苦茶よかった(子だくさん)んだろうなと思ってるので、イヴとピエールも似たようなところがあるのやもしれないと思ってる。

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いやーーーこれ4パターン円盤か、再演ほしいなって…
リオウエハラもっと長くやってほしかったですね。暑苦しくて倫理スケールのあるピエールだと思うので、後半の海宝イヴの故郷喪失感と組み合わせてみたかったです

 

以下にキャストごとに思いついたフレーズを羅列したやつ。一度別記事にしたけど、そうするほどでもなかったのでここにしまっておきます。

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YSL関係のtweetまとめ

なぜか最近シアコンで視聴してる人を自界隈で観るのでまとめてみました。

YSL、ドドドド沼った人とド虚無と二極化した演目だったけれども、私は選ばれちまったほうだったので、tweetまとめておこうかなと…(Twitterいつ霧散するかわからないしね)

長いのでしまいます。あと本当にツイートの羅列だから読みにくいよ!

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2022/11/13 ミス・サイゴン大千穐楽

今年のサイゴンのまとめは他の記事で書くとして、大楽の感想を書くにあたって書いておきたい「今年のサイゴン」についての雑感を最初に。

開幕してすぐ思ったのは、ベトナム戦争の物語を上演するのではなくて「2022年の今、上演する」ことに重点を置いてるんだなと思いました。

だから時代背景はさくっと説明的なシーン入れたりして、より重要な「戦争の惨禍により傷つけられる人の心」をキャストによって表現しようとしてるのかな、と。

2016年と比べたとき、演出面でのあらゆる変更点は、凄まじいほどの戦争への怒りが迸っていました。

レ・ミゼラブルミス・サイゴンメリー・ポピンズ、オリバー!などを手掛けるマッキントッシュ社が権利を持つ作品はフランチャイズ方式を採用していて、イギリスから演出だけでなく音響から何もかもスタッフが来日しています。

2022年、彼らスタッフたちがイギリスを発つとき、ヨーロッパではロシアによるウクライナ侵攻、及びロシア軍が去ったあとのウクライナの街での重大な人権侵害や虐殺について多く報道されていたのでは、と思います。

だからこそ、いっそ憎悪とすらいっていいような戦争への怒りがこの演目に反映されたのではないでしょうか。

今年のサイゴンの演出家(演出補ではなくなったそうです)JPの言葉を引用します。

私たちは、人間が人間らしくあることに責任を持つべきで、そして人間らしくあることは、権力者がこだわる土地や国境や政治なんかよりずっと重要です。

ミス・サイゴン2022』パンフレット「CREATIVE’S CROSS TALK」より

 

昆キム

今年のキムは幼い、と私は思ってきたのだけど、やはりこの日の昆キムも冒頭幼くて、ドリームランドの喧騒の中で驚いてるんですよね。怯えもあるけど、驚きが強い。

(「名前はキム、好きよクリス」「やめろよ」に対して)「私、何か言った?」も、エンジニア(大人)に米兵にはこう言え、と言われたそのままを言って拒絶されたので、ただひたすら驚いている。何か悪いことしたかな?の怯えの雰囲気はあんまりない。

だからこそ「良い人。…何も言わずに」とドリームランドの喧騒からクリスを引っ張って出ていくのが切ないんですよね。

「君はこんなところにいちゃいけない」とクリスに金を握らされたところで、いずれにせよ自分は体を売らなければならないことを理解していて、それなら優しいクリスがいい、となってる。ドリームランドの女たち、「我が心の夢」を通してキムは自分の置かれた状況を理解してる。

これは相手のクリスによっても違うけど、昆キムはドリームランドの時点ではクリスに恋心を懐いてはいない。(海宝クリスに対しては好きなんだろうな、と思った。マリエポの積み重ねよ…)

身の上話、今年は「クリスに聞いてほしかっただけ」に見えたこともあったけど、この日は怒ってた…たぶん直前のクリスの様子を反映してて、この日の小野田クリスは「どうでもいい、君が誰でも」がキムにぶつけるような感じだったからかな。(ここ、内に籠って自分に言い聞かせるクリスもいるよね)

「どうだろう」「なんなの」「このまま二人で」からずっと昆キムは驚いてて「君だけだ」って言われたときにようやく飲み込む。ここで「我が心の夢」の「私のために命かけて戦う人」という歌詞がクリスと合致してしまう。

(「我が心の夢」、日本語歌詞だと結構意味が落ちてしまってて、英語だとhe'll fight for me instead/He'll keep the fear at bayなので、二幕のナイトメアを思うとすごくつらい)

私は今年のサイゴンで「これは本当に恋だったのか?」ということをよく思ってたんだけど、昆キムは恋だったな、と思う。

この日の昆キムはここで恋になったな、と思った。

今年のキムは「幼さ」を強く打ち出したキムだと思ったんだけど、昆キムは成長していくんだと思った。たぶん、タムを生んで守らなければならないものができたから。

「今も信じてるわ」でもそれが伺えるんですけど、キムは「あの人は戻るわ、なぜかわかる」と言いつつも、エレンのパートに移ると昆キムは地面に伏して項垂れたり、座ってる重心が傾いたりして不安が見える…。本当はクリスが戻らないことを知っているんだと思います。

聡いんですよね…。本当は知っていて、知っているけれども、「自分の信じたいこと」にだけ視点の照準を合わせてるような感じがしていました。目を逸らすのではなく、不安よりもずっと大きなもので、不安を打ち消して塗りつぶしていく。意固地ともいえるような気の強さ。

だから松原エレンに「クリスの妻、エレンよ」と言われた瞬間に、昆キムはプツッと糸が切れたように椅子に座り込むんじゃないかな。ずっと思い込もうとしてきたものが、微かにひび割れていたものが、毀れるように崩れていく。

この日、神田トゥイもキムの向ける銃口に向かいながら「なぜだ」といい、フィナーレで小野田クリスもキムに「なぜだ」と言ったのですが、この「なぜ」は、昆キムの意固地さに向けられているものなのかな、と。(泣かない、考えない…抱かれて寝ようと心はあげない…固く瞳を閉じている)

昆キムは物語の中で成長するキムだけれども、物語の始まるよりも前から決定的に毀損されてしまって、その穴がそのままの形で大きくなってしまった…という印象がありました。

以前、英語圏では最後のキムの自殺は不可解なものに映るらしいという噂を聞いて、なんでよ!と憤慨したものですが(当時のキムは、クリスに瑕疵を負わせることでタムの将来を保証せざるを得なくさせる、という印象でした)、ここでJPの言葉に立ち返って「この物語で最も人間らしくないふるまいをしたのは誰か」と考えると、それはきっと最後のキムなんですよね。

自らの命を絶つほどの狂気。

昆キムは「自殺せざるを得なかった」けれど、彼女にそうさせたのは、彼女にぽっかり開いた穴だったのかもしれません。あとはカルマに追いつかれたのだと思う。(トゥイのところで後述します)

 

※この自殺についての概念は、自殺が大罪であるキリスト教からの見え方が関わっているのだろうなと思います。

ベトナム戦争当時、南ベトナムの農村に深く食い込んでいたのはベトコンと仏教だといいます。仏教の僧は政権に抗議するための焼身供養を行うことがありました。この焼身供養は誓願成就のための自殺と通底すると思うので、やはり「クリスに瑕疵を負わせることでタムの将来を保証せざるを得なくさせる」キムは仏教的な見え方なのかもしれません。

 

小野田クリス

帝劇ぶりに見たらものすごく幼くなってて…なんなんですか???

「嘘だろ」「本当よ」「女は逃げたくて嘘を」のあたりですごく子供だ~!って思ったのかな。キムを疑ってるというよりも一瞬戸惑って、どっかから借りてきた言葉を話してる感じ?

あんまり相手のことも、後先も考えずに発言してる、若さゆえの向こう見ずさというか…20歳前後、下手すると20歳越えてない、くらいに見えた。

(「クラブにいます、愛を売りに」に対する)「駄目だ。駄目だそんなこと」も何にも考えてないで口に出してしまった感じで、口に出して自分のやりたいことがわかって、そのままの勢いで「どうだろう」に繋がる感じ。

「世界が終わる夜のように」でロミジュリだし、トニーとマリアだな、と思った。米兵の傲慢と無邪気ではなく、若さゆえの傲慢と無邪気。戦争も何もかも二人なら越えられると無根拠に思い込むくらい、この日の小野田クリスは幼かった。

だから、なおさら酷い話だなとなった。大人たちの始めた戦争によって、幼い恋人たちが壊されていく。

たぶんだけど、帝劇公演から察するにJPが描いた絵って「クリスも立派な加害者」という絵だと思うんだけど、この日の小野田クリスはそうはとても言えなくて…小野田先生って「作品の中の最も整った形のパーツ」になるタイプの役者だと思ってたから、面白い目が出たじゃん!となりました。いや結果としてはすごーーく酷い話になりましたね。

銃で腹を打ったキムに駆け寄りながら「キィィイイム!」と言ってたんだと思うけど、何かすごい声が出ていて、キムを目にして、怯えるように尻もちをつく。

ベトナム戦争は前線のない戦争と言われ、あるいはいずれの場所も前線だったのだから、クリスは死体も酷い怪我人も見慣れざるを得なかっただろう、と思う。そのクリスがあれほどの反応を見せるのは、相手がキムだったからで、「俺の銃で顔を撃たれて悲鳴あげた、夢の中で」の悪夢の再現のように思えたから、かな。

血を流し横たわる昆キムを小野田クリスが抱えたとき、このシーンの二人はキムの歌詞だけではなく、体勢も「サンアンドムーン」のときとものすごく近いのだ、と初めて気付いて…あのとき一瞬、二人とも幼い恋人たちに戻ってるように見えたから気付けたのだと思う。

この日の小野田クリスは、フィナーレ後、また酷いPTSDに苦しめられるのだろうと思った。戦争によって壊されたこどもたち…

 

松原エレン

私は彼女のことを、現代なら「アクティビスト」を名乗るような女性だと思っていて。アクティビスト、政治活動家。不正や不平等を許さず、自ら声を上げ、SNSで発信する。現代ならそういうタイプの女性だと思う。

メイビーも感情ではなく正しさを求める気持ちなのかな、と。

この日の松原エレンで印象的だったのが、キムの「タムがブイドイで、未来がないというのなら」に対して首を振っている姿。未来がない子供などいない、いてはならないと信じる。それが彼女の正しさだから。

 

神田トゥイ/キムの業

神田トゥイ、西川トゥイとの対比で相対的に優しいトゥイだったのだけど、特にこの日は「恋に破れた不器用な男」としてのトゥイが強いように見えました。

キムを追い詰めながら不意に泣きそうになる瞬間がいくつもあって、どこだったか「お前は俺と行くんだ」の前で、キムの手を優しく包んでて…連れて行くために手を掴んだのではなく、手を包んでるように見えた。

昆キムと神田トゥイだと、子供のころからよく知ってたんだろうなという感じがする。頑ななキムの言うことに、最後は折れてくれてた神田トゥイ、というような幼い姿が見えるよう。

だから、昆キムも「トゥイならわかってくれる」と思ってたのかしれない。この日の昆キムは神田トゥイの気持ちをきちんと受け止めているように見えました。

キムがトゥイを撃ったのも本当に偶発的な事故で…無我夢中でただ弾みがついて指が引き金に触れてしまった、みたいな。

背後から撃たれて仰向けに倒れたトゥイの左腹に開いた穴を押さえる昆キムを見ながら、開いた弾痕と軍服に広がる血…と思ってました。(銃弾は回転しながら動くので、体に射入するときより射出のときのほうが弾痕は大きく、花のような痕を残して出ていくそうです。)

神田トゥイは自分の左腹の銃創を押さえる昆キムを見て、なんだかちょっと笑ってるように見えた。キムの頬に手を差し伸べて、キムもトゥイの頬を手で覆って…この日の昆キムは、神田トゥイの気持ちに応えることはできないけど、気持ちを受け取ることはしてたから、神田トゥイは最期のとき昆キムを責めなくて、許していたんじゃないかなぁ。

だけど、だからこそ昆キムには「殺してしまった」というカルマが大きく伸し掛かってしまった…。それが二幕のナイトメアのトゥイの亡霊に繋がるのだ、と思いました。

ナイトメアのトゥイの亡霊が、実際にトゥイの霊魂なのか(生きているときのトゥイと地続きなのか)、キムの幻覚なのか(生きているときのトゥイから切り離された存在か)、はキャストやそのときの芝居の積み重ねによっても見え方が違うものだと思います。英語歌詞ではI'm here! I am the guilt inside your head!とあるので、どちらかといえば幻覚寄りの存在なのかもしれないけど。

この日のナイトメアの神田トゥイの亡霊は、キムの幻覚なのだと思った。

亡霊の「銃弾がまだこの胸に」のところで、神田トゥイは左腹を押さえていた。あれは、キムが見たトゥイの最後の姿(左腹に弾痕を持つ姿)なんですよね。

そして、最後に昆キムが自分を撃つのも左腹だった…。

昆キムはトゥイを殺して以来、自分のカルマをずっと意識していると思っていて、ジョンにバンコクで会ったときに「ようやく許された」と歌うときに、昆ちゃんの元々黒目がちの目が一層黒々と見開かれていてなんだか怖いんですよね。

「殺した罪 逃れられるか」は誰よりも昆キム自身が思っていたことなのでしょう。

だからバンコクで「ようやく許された」と歌うけれど、エレンの存在により許されてなどいなかったことを知る。悪行の報いを受けている、でもその業に、タムを巻き込むことはできない、だから彼女は、自分の左腹を撃った…。

 

市村エンジニア

前なら流してたようなところも慎重に置きにいってるな、大楽だからかな、と思っていたのですが、まさか引退宣言するとは…。

日本では市村エンジニアから始まっているからそらそうといえばそうなんだけど、私のエンジニア解釈(混血のくだりとか)って元を辿ると市村エンジニアなんですよね。

私がこうして見たものを文章にしてるのは、自分の見たものを他人に伝えたいからなんですけど、私の思う「エンジニアってこういう人」の像については、市村エンジニアを観ろ、と言えばいいくらいに祖。

とにかく、お疲れさまでした。ホリプロは早く『生きる』再演かけてください(一番好きな市村さんの役)

2021/11/1の韓国MAの配信(字幕なし)を見たよ2 キャスト編

2021/11/1(月)の配信を見たよ。

2021年日本版のまとめはここ。

t-o-fu.hatenablog.com

キャスト

マリー:김소현(キムソヒョン)
マルグリット:정유지(チョンユジ)
フェルセン:민우혁(ミンウヒョク)
オルレアン:김준현(キムジュンヒョン)
ルイ:이한밀(リーハンミル)
ランバル公妃:박혜미(パークヒエミ)
エベール:윤선용(ヨンスニョン)
レオナール:문성혁(ムーンソンヒュク)
ローズ・ベルタン:주아(ジョー)
※私はハングルを読めないので()内に機械翻訳の読み仮名をつけました…

後述のキャストによる役の解釈にも関わってくるけど、日韓の衣裳は同じ生澤美子さんが担当している。
日本の衣裳は史実寄りで、韓国は「役の概念」を表現した衣裳が多いと感じた。

マリー・アントワネット김소현(キムソヒョン)

1幕の少女のようなマリーも、裁判も最期のときも、彼女の本質は変わらない。彼女はそのようにしかあれない。
恋に生きる少女のようなマリーの魂が透徹していくまでの物語だ、と思った。日本だと2018年の花總マリーが近い。
1幕の「国王の作業場」での「明日は幸せの歌」で、子供たち二人に挟まれたマリーは背後のルイを振り返らない。シャルルを引き離されたあとにマリーが一節歌うけど、ここでテレーズがマリーの後ろから抱き着いている。
このあたりは、マリーの人物像として、はっきりと色が出るのだろうと思っていた。日本の笹本マリーは「家族を選ぶ」マリーなので、「明日は幸せの歌」でルイを振り返って、ルイと微笑み合い、シャルルを奪われたあとにテレーズを強く抱き寄せて泣きながら歌う。
「王妃の村里」の「遠い稲妻」、フェルセンに説得されるマリー。マリーは、フェルセンが心配をしてくれているのはわかるけど、フェルセンの心配の内容まではわからない。
我々は後世を生きているので、フェルセンの心配が現実のものになることを知っている。だから、このシーンはフェルセンの立場から見ていることが多いと思う。
例えば、私たちが年上の人と話すときに「今の私」が感じている心配を、年上の人に分かってもらえない感覚。世代差、認識の差で、いまいちピンときてもらえない。
この回のフェルセンの説得は、そういう感じに近いように私には見えた。
フェルセンとマリーの間の認識に大きなギャップがある。見えている視界が違っているから、フェルセンの説得は届かない。
前述の衣裳の話。マリーの衣裳で印象的だったのが、「聖母マリアの被昇天の日」(「蛇を殺して」あたり)で、スカートに百合の紋章が入っている。王家=自分であり、オルレアンは「自分(王家)の敵」。
あと、マリーとマルグリットで、マリーのほうが身長が低いのがすごく良かった。「憎しみの瞳」での二人の対決で、マリーがマルグリットを見上げるのがすごく良い。単なる私の好みです。(日本だとマルグリットが小さいので)
同じ子守歌を知っている話のあとでマルグリットの境遇を聞いたマリーは、マルグリットに同情し、マルグリットの肩に手をかけて身を寄せる。マリーは育ちが良いから、彼女が想像ができる範囲での他者の痛みには、すぐに心を寄せることができる。
マリーの裁判の証言で、一瞬だけ彼岸を見て戻ってくる印象があった。

マルグリット:정유지(チョンユジ)

決して飼い馴らすことのできない、山猫のような、鋭い印象のマルグリット。
利用はされない、私は私の道を選んでいる、と思い続けているけど、それは本当に「正しい」の?

フェルセン:민우혁(ミンウヒョク)

少し無骨で、不器用な感じのするハンサムなフェルセン。武人っぽさが強いので、秘密の恋人関係は続かないだろうな~と思う。
演目に関わらず、日本のフェルセンは、池田理代子ベルサイユのばら』~宝塚の文脈が強い。つまり線が細く、鋭角の印象が強い。日本のフェルセンは馬上で指示を出すところは想像できても、兵士と泥をかぶるところは想像できない、という感じ。
だから민우혁フェルセンは新鮮だった。
無骨で不器用なところがあって、意志が強いからこそ、折れたときに脆い。たぶん折れるときに良い音がするし、良い闇落ちをしそう。

オルレアン:김준현(キムジュンヒョン)

笑顔が多く、容姿が美しいので、見ているこっちもうっかり騙されそうになるが、根本的にはすべてを見下しているオルレアン。
気取った優雅な振る舞いをするが、生まれながらに身についたものというよりも、そう見せる「パフォーマンス」の意味合いが強い。マルグリットに告発されたあとのほうが本質。
パレ・ロワイヤルの舞踏会、大司教のあたりでマリーに呆れている。むしろ見下しているのだと思う。
このときのオルレアンの衣裳、アビ(ジュストコールとも言われる。一番外側のコート)が肋骨服に似ていて、「このオルレアンは軍人に未練があるの?」と思った。(史実のオルレアン公爵は、アメリカ独立戦争を支持して戦線に加わるものの、失態を犯して逃げ帰っているはず)
聖母マリアの被昇天の日」、オルレアンがマリーに近寄り、マリーに追い払われるところ、かなりマリーに接近していて「毒蛇の囁き」感はあった。現代でもセクハラになる距離感だった。
距離感が近いといえば、「世論を支配しろ」のところで、オルレアンが後ろにいる印刷工の頬から首を撫でていって、印刷工が怯えていたんだけど、あれはなんだろう? 字幕ついたら歌詞と参照して確認したいな。
김준현オルレアン、お金がなくて代々の美術品とか売っちゃった〜みたいな、史実オルレアンの残念エピソードが妙に想像できる。友達がいなさそう。周りを見下し、パフォーマンスの力が強いのにも関わらずこの印象が生まれるのは、どこかで「無理をしていそう」という印象があるからなのだと思う。
「ベルサイユへの行進」のところ、女装したエベールと向かい合ったとき、オルレアンが優雅に紳士の一礼をして、エベールが淑女の礼で返す。「恐怖政治」のあと、ジャコバン修道院から解散するときにマルグリット、オルレアン、エベールの三人が舞台中央に集合するが、マルグリットがはけたあとにオルレアンとエベールが何かを話して、オルレアンが笑ってエベールを指さすくだりがある。
김준현オルレアンはエベールと気が合いそう。一度相手に対する敷居を下げてしまうと、すごく敷居が低くなるタイプに思える。
パフォーマンスをする力が強く、何かを「装って」いるのだけど、企みを明かしているエベールとのやり取りが自然に仲が良い。平民と一緒にいるときにほうが、オルレアンは気が楽なのではないか。
史実のオルレアン(ルイ=フィリップ2世・ジョゼフ・ドルレアン公爵)は、父であるルイ・フィリップ1世の子ではないという噂があり、革命のさなかに彼が捕らえられてから、処刑の恐怖から逃れるため、自身がルイ・フィリップ1世の子ではないと公言した。김준현オルレアンはこの説を採用していそうな気がする。

ルイ:이한밀(リーハンミル)

ものの道理は分かっている国王。どう運べばいいのかが分からない。平和な時代であれば賢君になったのでは?
史実ではヴァレンヌ逃亡のあとに立憲王政が成立、ルイ16世は拒否権をたびたび発動し、議会は右往左往する。MAではないことになっているこのくだりを、이한밀ルイで見たいと思った。

ランバル公妃:박혜미(パークヒエミ)

マリーの姉のようなランバル。そういう意味ではアニエスのポジションではあるのだと思う。
日本の彩乃ランバルは「王妃様を陰ながら支える」印象が強かったので、姉のよう、という印象はなかった。

エベール:윤선용(ヨンスニョン)

윤선용エベールは基本性質が陽。軽佻浮薄で流されやすい。ときどき口元に手を寄せるのは、ほくそ笑んでる?
マスコミの印象が強いかなと思ったけど、陰謀論で有名なQもこんな感じかもしれない。ちょっと愉快犯っぽい。
エベールの衣裳、指ぬきグローブなのか萌え袖なのか、どんな意味があるのか気になる…(中二っぽいと思ってごめん)
マレ地区でエベールがマルグリットを投げ出して逃げて驚いた。(日本だと2018坂元エベールと2021川口エベールはマルグリットを放置して逃げていき、2021上山エベールは「マルグリット、こっちだ!」と逃がすためマルグリットを先導する)
印刷所のオルレアン、ラ・モット夫人、エベールの位置関係は、日本の2018年と同じだったような気がする。オルレアンの左側にラ・モット夫人がいて、二人とも客席のほうを向いている。エベールはオルレアンの右側から、自分の存在をアピールし、オルレアンが流れるようにエベールを紹介する。この位置関係だと、悪だくみの共犯者としてオルレアンとエベールは対等に見えるんだよね。
윤선용エベールはオルレアンにお金で飼われている自覚がありそうで、オルレアンに見下されてる自覚もありそうだけど、あくまでオルレアンを利用するつもりに見える。
裁判のあとマルグリットを殴ろうと手を上げて、マルグリットに睨まれて結局手を下ろしているから、最後の最後まで捨てきれない良心があるのかもしれない。人に馴れないマルグリットが好きだったのだろうか?最後逮捕されるときも「マルグリット!」って呼んでたね…
それほど強く男性性に拘る感じはしなくて、軽佻浮薄という印象が強い。日本だと2018年の坂元エベールに印象が近いと思う。(2021年の川口/上山エベールは湿度が高いというか、最終的に「陰」の気配が強い)
ただ、2018年の坂元エベールは、公演期間の途中からランバル虐殺で目尻に赤いラインを引いていたので、良心を失っているように見えていた。

蛇足

2021年日本公演の感想を韓国の限界おたくに翻訳されて読まれている気配と、ストリーミングしてほしいと言っている気配を感じたのですが、望み薄なので、メインキャストの最近の配役から雰囲気を掴みとってもらえると嬉しいです。

マリー役
花總まり:「エリザベート」シシィ役、「1789」マリー・アントワネット役、「シークレット・ガーデン」リリー役
笹本玲奈:「ウエスト・サイド・ストーリー」マリア役、「ジキル&ハイド」エマ・ルーシー役

マルグリット役
ソニン:「キンキー・ブーツ」ローレン役、「セブンティーン・アゲイン」スカーレット役、「1789」ソレーヌ役
昆夏美:「ミス・サイゴン」キム役、「レ・ミゼラブル」エポニーヌ役

フェルセン役
田代万里生:「エリザベート」フランツ役、「ストーリー・オブ・マイ・ライフ」アルヴィン・ケルビー 役・トーマス・ウィーヴァー役、「ジャック・ザ・リッパー」モンロー役、「マタ・ハリ」ラドゥー役
甲斐翔真:「ロミオとジュリエット」ロミオ役、「RENT」ロジャー役

オルレアン役
上原理生:「レ・ミゼラブル」アンジョルラス役・ジャベール役、「スカーレット・ピンパーネル」ロベスピエール役・プリンスオブウェールズ役、「1789」ダントン役
小野田龍之介:「レ・ミゼラブル」アンジョルラス役、「ミス・サイゴン」クリス役、「ウエスト・サイド・ストーリー」トニー役・リフ役

エベール役
川口竜也:「レ・ミゼラブル」ジャベール役、「ノートルダムの鐘」フロロー役
上山竜治:「レ・ミゼラブル」アンジョルラス役、「エリザベート」ルキーニ役(パンデミックにより公演中止)、「ウエスト・サイド・ストーリー」リフ役、「HOPE」カデル・弁護士役、「ブラックメリーポピンズ」ヘルマン役

2021/11/1の韓国MAの配信(字幕なし)を見たよ1 演出の違い編

ゆえあってnoteからの移転先を探していたので、試しにこっちに移ってみるよ!

 

 

この2日目のほうを観た。

キャスト

マリー:김소현(キムソヒョン)
マルグリット:정유지(チョンユジ)
フェルセン:민우혁(ミンウヒョク)
オルレアン:김준현(キムジュンヒョン)
ルイ:이한밀(リーハンミル)
ランバル公妃:박혜미(パークヒエミ)
エベール:윤선용(ヨンスニョン)
レオナール:문성혁(ムーンソンヒュク)
ローズ・ベルタン:주아(ジョー)
※私はハングルを読めないので()内に機械翻訳の読み仮名をつけました…

日本で日本語で上演される海外ミュージカルは、日本だとレプリカ公演・ノンレプリカ公演に大別される。
レプリカ公演はクリエイティブチームが来日し、演出、セット、衣裳すべてオリジナルプロダクションと同じものを、日本人が日本語で演じるもの。ディズニーやマッキントッシュ社がライセンス持ってるような演目が多い。なんとなく英語圏が多い気がする。
ノンレプリカ公演は台本、譜面はオリジナルと同じものを使い、演出や振付などは日本でつける。日本で上演されるウィーンミュージカルは、ほぼノンレプリカ公演。

現在日韓で上演されるMAはクンツェ&リーヴァイ作、ロバート・ヨハンソン演出。版権元は韓国のEMKミュージカルカンパニー。
レプリカ公演だと思っていたけど、意外と日韓の演出の違いがあったのでメモしておく。

レプリカ公演、例えばマッキントッシュ社が権利を持つレミゼだと燭台を盗んで逃げたバルジャンが捕まるとき、野次馬をしている見物人のシャツの出し方まで指定されているらしいので、日韓で結構演出が違うのにびっくりしたのだ…。
EMKは輸出元ではあるけど、マッキントッシュ社のようなフランチャイズシステムにするつもりはないのかな。

1幕

・1幕冒頭のフェルセンソロで、背景にマリーの肖像画が出ている。日本版は背景まっくらです。

・パレ・ロワイヤルの舞踏会に出てきたときのマリーのソロが違う。

・マルグリットとマリーの初対面で、マルグリットがマリーに向かって「百万のキャンドル」を歌う。ここに「百万のキャンドル」が入るのは2016年のハンガリー版も同じ。
日本だとマリーとマルグリットの台詞の応酬。マルグリット「飢えています。路上で生活しています。食べるものが何もありません」ベルタン「ケーキを食べればいいじゃない?」マリー「マルグリット、シャンパンはいかが?」でマルグリットがマリーにシャンパンをかける

・マレ地区のセット、上手でエベールが登場するときに木材を組んだ足場のようなところに座っている。
日本だと上手に積んである瓦礫の上にエベールが登り、立ったままマルグリットを眺める

ヴェルサイユ宮殿 国王の作業場、シャルルが上手にいって、マリーがシャルルを呼び寄せ、「明日は幸せの歌」に入ったような?
日本だとギロチンに驚いたマリーが心を落ち着かせるために上手で深呼吸をして、そのマリーにシャルルが「歌って、お母さま」で幸せの歌へ

・「明日は幸せの歌」のところで、マリーが背後のルイを振り向かない。日本だと歌いながらマリーが振り返る

・王妃の村里でのマリーのソロが違う

・グラン・モゴルに二階があって、二階からレオナールが降りてくる。日本だとレオナールが下手のテーブルに座ってる。

・「見た目が一番」のラストで幕が下りてきて、幕前でオルレアン・レオナール・マルグリット・ローズ・エベールが並んで曲が終わる。日本だとグラン・モゴルのセットのまま

・一幕ラストでエベールがライオン像の前に乗っている。日本のエベールはベンチに乗っている。

2幕

ヴェルサイユへの行進のところでエベールが帽子をかぶったり、真面目に女装している。日本だとスカートをはいただけ

・ランバル虐殺で、殺されたランバルの首と血塗れのドレスが舞台上を行進する。日本は血塗れのドレスのみ

・マリーの裁判のあと、エベールがマルグリットを殴ろうとして、殴れない。
これは役者の芝居の加減かもしれないけど、日本版の坂元エベール(2018)、川口/上山エベール(2021)はみんな「殴れない」ような良心の残滓は感じられないので印象に残った。

・ラスト、ギロチンの刃が落ちる音とともにトリコロール国旗の幕が落ちる。幕に、マリーの首を掲げる処刑人と快哉をあげる群衆が、影絵で示される。
1幕の国王の作業場、上手のギロチンの上に、赤い照明で処刑人が逆光で登場するシーンと繋がる。
日本では、このシーンは舞台上にトリコロール国旗の幕が揺れているだけ。個人的には、影絵があったほうがいいと思う。この影絵がないと、1幕で処刑人が逆光で出てくる意味が希薄になる。

まとめ

日本のDVDの映像を見ながら書いていたけど、総じて、韓国版のほうがヴィヴィッドだと感じる。
色合いもカラフルで、衣裳はもちろん、グラン・モゴルのトルソーも鮮やかなピンク。
ランバル虐殺の生首の行進や、マリーの首を掲げる処刑人と群衆の影絵も生々しい。
日本の2006年栗山民也演出版の公演で、「生首の行進が怖い」と言われてたのを受けて、2018年にヨハンソン版を上演するに当たって変更されたんでしょうか…

2021年日本版のまとめはここ。

t-o-fu.hatenablog.com

ちなみに、権利元が転々としつつ上演されてきたMAの興行史については、こちらの論文が詳しい。ちょっと特異な気がする。

Les Misérables 2021/7/25S

画像1

新しいキャスボがあちこちにあるの、劇場がどこで密になりやすいか把握してるし、劇場はすっごい頑張ってると思うから、観客も気を引き締めていきましょうね…

シュガバル

増原司教の「あなたの魂、私が買った」の「買った」あたりでふっとシュガバルの体の力が抜けてるのがわかって良かった。うまく説明できないんだけど、魂が司教の手に委ねられた、という感じがするからかな。
司教の去り際に燭台を返そうとする仕草で、自分は悪いことをしたのだ、と分かっているのだと思った。司教に「魂を買われる」ことへの拒絶ではなく、心に素直に兆した罪悪感で、その罪悪感こそがバルジャンの魂が濯がれつつある証拠なのだと思う。
告白で内藤マリウスが去ったあと、空になった手を見下ろす視線が寂しい。
このチームの帝劇千穐楽なのでキャスト挨拶があったんだけど、シュガーさんの挨拶泣いた。
今年のシュガバルは柔らかい、ほわっと人を包み込む光を持ってる人で、私はそれがすっごく好きなんだけど、たぶんシュガーさんが作品から受け取ったものが、シュガーさんの心に反射して表れてる「光」を受け取ってるんだな〜と思いました

川口ジャベ

川口さんたぶんシュガのとき嗜虐的にしてるよね?この日もイエローチケットを握りつぶして渡してた。
「(それが神の)御心なのだ」で伸ばされたファンテの手を蹴り払う川口ジャベ、すごくひどいと思うのにスターズがかっこよすぎて思考が死ぬ。
砦から逃がされるときに「また対決だ」のあとで「ジャン!」って呼んだ気がしたんだけどあれは「さあ!」だったのだろうか(むかーしここでジャン呼びしてたから…)…真相は闇の中

内藤マリウス

バルジャンを慕うマリウスだから、シュガバル臨終のときに泣きながら逝かないでって首振ってたし、いろはコゼットが倒れこむのを支えながら、自分も支えられてる。それでも頼りないマリウスという印象にならないのは、「愛されていること」「愛していること」への自覚が強くて、愛を繋げていくことへの意識があるマリウスだからなんだと思う。

生田エポ

コゼットに顔を見られまいとする拒絶の仕方が強烈で印象に残っていて、「私は選ばれない」という確信が強くある。
この確信がどこからくるのかをずっと考えてて、この日わかった気がする。「育ち」だ。
コゼットを探してよというマリウスがコインを差し出したときの「ムッシュ、金などもらいたくないわ」
バルジャンにマリウスから託されたコゼットへの手紙を渡すとき、「コゼットに渡すの」と言いながら後ずさって、バルジャンからコインを渡されようとすると顔をしかめて拒絶する。
「お育ちのいい人はすぐこれだから」とでも言いたげだなと思った。
この件においてはお金をもらって使い走りをするのは嫌、という感じではなくて、お金で動く自分ではない、と思っていそうで、要するに潔癖なのかもしれない。

谷口マダム

谷口マダムが「ここだねおちびの貴婦人」のあたり高笑いしてて邪悪さが増していいな~と思ったんだけど、この日は全体的に笑いが多くて怖かったかも。
そこ笑う?みたいな…悪びれない悪意。いるよね、見るからに悪い人ってわけじゃないのに、むしろいい人に見えさえするのに、他の人を踏みつけにして悪びれない人…

小野田アンジョ

NEW小野田アンジョほんと好き…うちらどこ連れてかれるんだみたいな不安感なくなった。私はたぶんこう砦で戦ってるつもりで観てしまうから、首領に思いを受け取ってもらえないと悲しくなってしまうんだろうなと思う。NEW小野田アンジョは受け取ってくれるので…
概ね前日と同じ動きしてたかな?民衆のフイイプチソロで左手を挙げて答えてた。
ODMで光らなくなったし、BHHでどんなに目を凝らしても翼がなくなった(蝋燭の翼もハリボテの翼も見えない)んだけど、こっちの路線のほうが私は合ってると思う。
砦でも自分だけを守るようなことはしなくなって、ガブローシュを受け止めるために前に出てきたときにガブが撃たれるから体勢的に目の前で血飛沫が散っていそうな感じがするな。
「死のう」の前に砦の上を左右見て、下を見るの好きだよ。何が一番みんなのためになるか考えての結論なんだね…
その結論は正しいのか?彼らには他の未来があったのではないのか?と、思いこそするけど、その結論に至るまでの過程は納得できる。
また、あの瞬間に「他の未来」に思いを馳せるには、リーダーたるアンジョ自身が若すぎる、という印象も受けた。
そういう意味で実際、「普通の青年」なのだと思う。みんなの中で優れていても至らないところがある。
NEW小野田アンジョは、そういう若くて青い普通の青年になった気がする。
マリウスが撃たれて落ちて、アンジョが駆け寄って、グランテールに引き起こされて。笑顔で手を差し出す川島グランテールに、小野田アンジョはその手を取って、抱き締めながらグランテールに何か囁いてるんだけど、C列センターで聞こえないんだから小野田くんはあれ最期の言葉を客に聞かせるつもりないな?ってなった。
誰かわかった人いたら教えてほしいわ…。
地上の人になった小野田アンジョとっても良かったから、小野田くんは地上のアンジョを極めてくれ。
小野田アンジョがNEWになっても相変わらず杉浦フイイが理解者っぽい顔してるの可愛いなーと思ってた。砦でアンジョに話しかけてアンジョが頷くとさっと消えてみんなに指示伝えてく。

覚書

・古川医者、カードゲームのあと踊らなかったんだけど負けたんですか?

・パリ、今井クルフェが「バリケードだよ」(だと思う)って言いながらビラを配っていて、あとで下手端っこで藤田兵士と島崎ラットキャッチャーがそのビラ見ながら何か話してた(内容までは聞こえず)