観劇記録

戦う者の歌を聴かせて

Netflix作『ザ・プロム』が滅茶苦茶良かった話

滅茶苦茶良かった。映画館で観たんだけど、二時間半ほぼずっと泣いてた。
レズビアンがメインのミュージカルって少なくて、私は『FUN HOME』しかぱっと出てこない。『FUN HOME』以上に、「今」を反映した作品だと思う。
歌がいい、ダンスがいい、ストーリーがいい。ミュージカルへの愛に溢れた「ザ・ミュージカル」だった。

その上で、世界中のセクシャルマイノリティの子供が観ることを前提にして製作していて、「人生にリハーサルはない。派手に波風を立てないと終わってしまう。もし立ち上がれないくらい悲しいことがあっても、私たち(フィクション)があなたの手を取ろう」というポジティブなメッセージを強く感じるのがすごくいいと思った。
(『キンキーブーツ』も「倒れても立ち上がろう、フィクションがあなたの手を取ろう」って発してると思ってて、アメリカのミュージカルのこういうところが好きだなぁと思います)

ニューヨークの元人気舞台俳優ディーディーとバリーは、新作ミュージカルが失敗し役者生命の危機に立たされる。一方、インディアナ州の田舎町では、恋人同士の女子高生エマとアリッサが、女性カップルでプロムに参加することを禁止され悲嘆に暮れていた。ひょんなことからその事実を知ったディーディーとバリーは、この機会を利用して自分たちのイメージを挽回しようと思いつき、同じくキャリアアップを狙うアンジーらとともに計画を練るが……。(映画.comより)https://eiga.com/movie/94005/

2016年のアトランタでのトライアウト公演を経て2018年にブロードウェイで上演されたミュージカルの映画化。
だからすごく若いミュージカルなんだけど、たぶんあと数年もすれば古く感じられるようになるのかもしれない。
(エマの戦い方もあと数年もすれば古く感じられるようになるよね)

引用したあらすじだと、エマとアリッサ二人がメインのように思われるけど、実質はエマが主役。
主な舞台はインディアナの田舎町。
エマが「プロム(学校行事のダンスパーティー)に女性の恋人を同伴したい」と言い、PTAがそれを拒絶、参加させないのは人権問題になる、だからプロムごと中止になる……というところから物語が始まる。
これがTwitterでバズり、ブロードウェイで新作がコケた俳優、DDとバリーが売名のため、『シカゴ』の万年カバーキャスト・アンジージュリアード音楽院卒のシェイクスピア好きだが代表作はテレビコメディの悩める俳優・トレントとともに、インディアナに向かう。
エマは決して、他人にプロムに誘いたい恋人(アリッサ)の名前を言わない。
なぜならアリッサはカムアウトしていないから。
その上、アリッサは、PTA会長のミセス・グリーンの娘なのだ……。

以下、ネタバレしまくるよ!!!


私が刺さった言葉・台詞

エマの曲ですごく刺さったのが「スターやヒーローになりたいわけじゃない、スケープゴートはいや。ただ彼女と手を繋いで踊りたい」
エマも、そのあとで出てくるアリッサもただのティーンで、傷付きやすい、守るべき子供なんだよね。
エマは両親へのカムアウトのとき家を追い出されてて、、それもすごくつらいんだけど、このノーランジョー・エレン・ペルマン演じるエマは、冒頭、いつもうっすら口角を上げてるの。それがつらい。
無理矢理でも笑みらしきものを作って、自分は平気、って思わないとやってられないくらい、本当の表情を隠さないといけないくらい、彼女は苦しい。まだティーンなのに。
そのエマが、DDやバリーの登場で変わっていき、段々普通の表情が出てきて、ティーンらしい、悲しいとか苦しいとか表せるようになる。
でもエマはそれだけじゃなくて、支えてくれる大人たちの手を取って立ち上がったとき、自分のやり方で戦おうとする。
大人とは違う、彼女のやり方。
あくまで主体はエマであり、ティーンであるエマの意志を大人たちは尊重し、支えて励まし、応援する。
これもすごくいいと思った。
(フィナーレ、たぶんエマが自分自身で選んだ空色のタキシードを着てるのもいいよね)

『ザ・プロム』は全編を通して、ティーン、十代の子供に対する視線がすごく倫理的だと思った。

エマを疎外する同級生たちも、みんな柔らかい心を持っている子供で。
冒頭こそエマに対して嫌がらせする彼ら彼女らが腹立たしいけど、彼女らの「私達は日曜には教会に行く、善人よ」に対して、トレントが歌い踊るナンバーの
「なぜ同性愛だけが駄目なの?タトゥーは?婚前交渉は?離婚は?マスターベーションは?そこに矛盾はないの?…聖書にあるのはただひとつ、『隣人を愛せよ』」
に心動かされて、そこに一緒に加わっていくのがいい。
ここで印象的なやりとりがあって。
「(トレントの説得に)ちょっと分かるかも。…元々、エマと仲良かったよね、私たち」
「エマがゲイになる前よ」
「元からゲイなのよ」
ここにトレント「神がそのように造った」と付け加える。
いいなぁと思った。
ここでトレントと一緒に踊るのが、ツアーバスに同乗させてもらってた『ゴッドスペル』カンパニーっていうのがもうね!

類似のやり取りは終盤、アリッサとミセス・グリーンのやり取りにもある。
「あなたをゲイにするわけにはいかない」
「ママ。元からゲイなの」

バリーが、ブロードウェイではオープンなゲイだけど、故郷で16歳のとき両親にカムアウトして「治療しよう」と言われて家を出てる設定なだけに、この「元から」の強調はすごくいい。

アリッサが母であるミセス・グリーンに言う
「ママを傷つけたいわけじゃない。誰も傷つけたくない。でも、私は私らしくいたい」
もすごく良かった。


「ザ・ミュージカル」~フィナーレ「いつか実現する、そのときまで私がキューを出す」~


冒頭にも書いたけど、ミュージカルの定石を踏まえた「ザ・ミュージカル」なので、ミュージカルを愛し、このコロナ禍の中で思うように劇場に足を運べないでいるファンに滅茶苦茶刺さる、と思う。

ミュージカルとは何か?
近年のミュージカル映画のヒット作『ザ・グレイテスト・ショーマン』のパンフより、主演ヒュー・ジャックマンの言葉を引用する。

ミュージカルは観客が一曲一曲に感情移入できるように、曲を通して登場人物が動き、成長していく姿を感じ取れるようでなければいけない。普通の会話の中ではとても表現しきれない感情がある。観客は、登場人物が普通の会話では伝えきれないために歌で自己表現するしか選択肢がないということを、当たり前のように感じられなくてはならない。

元々、彼は『オクラホマ!』などで知られるミュージカル俳優で、本当にミュージカルを愛してるんだなぁ…と思った大好きなインタビュー。

太字は私がつけたんだけど、これは本当にその通りだと思ってて、一曲の中で登場人物の感情が動くのがミュージカルナンバーだと思ってる。
メロディー、歌詞に合わせて役者が芝居をし、自然に登場人物の感情が動き、観ている観客の感情も動く。
この観客の情動の惹起ってものすごいもので、巻き込まれるというか、音楽による「陶酔」も働くから、観客は登場人物と一緒に、革命を起こしたり(※レミゼ)、無実の人を処刑台に送ったり(※『パレード』)するわけで。
(ほかにも『MA』『エビータ』を始め、舞台の上の「煽動者」に対して「群衆」役を観客にあてるミュージカルはいっぱいあるね。レミオタだけどこれらも大好きだよ。『ウィキッド』もここかな)

あとこれはミュージカルあるあるだと思うのが、ハラハラドキドキ、でも最後にはみんな歌って踊って大団円!というやつ。
とりあえずなんか最後、舞台上に登場人物みんな集合して歌うやつ。
ミュージカルをよく観る人なら、片手じゃ足りないくらい作品浮かぶと思う。

『ザ・プロム』の映画レビューで「そこで和解できちゃうの?」とか書かれてるのも読んだ。
そう、確かにラスト、アリッサの母のミセス・グリーンはアリッサに「何があってもあなたは私の大切な娘であることに変わりない」と理解を示す。
あれだけエマを妨害していたのに?!

でも、それがミュージカルなんだと思う。

生の肯定、不完全な人間の肯定。
これが基本的なミュージカルの形なんだと思う。
劇団四季は「人生は素晴らしい、生きるに値する」というテーマで作品を作ってる。
もちろんこれに当てはまらない作品にも素晴らしいものがたくさんあるし、好きな作品がたくさんある。
でも「生の肯定」はやはりミュージカルの基本だと思ってる。
そこに落とし込むために、音楽とダンスで多少のストーリーの無理は押し通す。それがミュージカル。
なぜなら人間の声と、躍動する肉体こそが「生」そのものであるから。声と肉体のエネルギーを、ミュージカルの作り手も受け手も、信じているから。

そういう意味で、『ザ・プロム』ラストの大団円ハッピーエンドはミュージカルにしかできないな〜と思ったらフィナーレの歌詞が
「いつか実現する、そのときまで私がキューを出す」
で最高すぎた。

物語の中のかたき役、ミセス・グリーンは娘の性指向に理解を示し、エマ主催の「誰でも参加できる」プロムにはインディアナ中のマイノリティが集まり、バリーも母と和解して、エマはアリッサと、バリーは母と、歌って踊ってみんなハッピー。
その歌詞が、前述の、
「いつか実現する、そのときまで私がキューを出す」
なの。
これはフィクションの中のハッピーエンドだと我々も知っている。ご都合主義上等、だけど我らのフィクションが先導となり、現実の旗振り役になってやるっていう宣言だよね。ザ・ミュージカル!

ミュージカルというジャンル、ときどき、そういう現実とのコミットをする。
レミゼ』の「立つのだ仲間よ、世界に自由を」(直訳は「ここにいない者たちよ立ち上がれ、世界が自由になるその日まで」)
ノートルダムの鐘』の「いつか人がみんな平等に暮らせる、そんな明るい未来が必ず(中略)いつか夢はかなう、祈ろう世界は変わると」
観客の地平(現代)から、世界を変えていこう、変わると信じよう。
あるいは
人生を愛そう。不完全な人間を愛そう。人間の可能性を、信じていこう。
そういうコミットをするときが、ある。 

そういえば、字幕では「LGBQ」になってるし台詞でもそうだと思うけど、フィナーレの「誰でも」プロム、トランスの人もいるよね。
「Build a prom for everyone!」
セクシャルマイノリティヘテロもいるし、そこにある愛が性愛でなくても構わない、すべての人に開かれたプロム。

※12/16追記。
どうやら元の舞台には、バリーがママに受容されるのも、アリッサがミセス・グリーンに受容されるのもないんだね?だとすると結構意味変わるな…
でも、このNetflix版って世界中の「セクシャルマイノリティのこども」が観ることを想定して作られてるように思えるから、
・長い時間が経って母に受け入れてもらえるバリー
・抵抗はあったけど母に受け入れてもらえるアリッサ
・受け入れてもらえないけど、自分で居場所を見つけてくであろうエマ

三者三様があって、どの立場であっても、それでも人生は終わらないし、続いていく…ってこどもたちに伝えているのかな、と思った。
エマはこのプロムの騒動で、自分の戦い方を見つけた子で、だからこれからも自分の心地いい場所を自分で作っていける子だと思う。
(でも話のまとまり的にはミセス・グリーンのソロ曲を新しく書き下ろしてもらって、ラストにアリッサの受容+エマへの謝罪はいれたほうよかったのではないか)

※12/27追記
根本を辿れば社会構造であるところの問題をパーソナルに帰結させてしまうと、社会構造の問題が見えにくくなってしまう、よなぁ~と今日は思っていた。
どうあるべきだったんだろうな…


大ヒットミュージカルのパロディ


多くの大ヒットミュージカルのパロディがあるんだけど、冒頭のDDとバリーのナンバーはそれらが散りばめられてる。
レミゼの一幕の最後みたいに」で行進するのは上がったし、そのときの背景にレミゼ上演中の劇場っぽいのが映るのがいい。(ちゃんと現行の、青の強い空に赤い旗がなびいてるメインビジュアルのやつです)
あとこのナンバーのときちらっと『ウィキッド』っぽい看板が映ってて、インディアナに行ったあとでバリーがエマを変身させるとき「エルファバとグリンダ」ってさっと出てくるよね。

受けたのが、DDとバリーの最新作「エレノア」の初日後パーティのときに「(当たれば)ロングラン、ドサ回りなんてしなくていい」という歌詞があって、後に彼らがインディアナ州に向かうとき『ゴッドスペル』のツアーカンパニーのバスに同乗させてもらってるところ。
『ゴッドスペル』その扱いなの?
(でもゴッドスペルカンパニー、バスの中でも歌ってて気のいいやつらって感じでそれも分かりみがあった。演目の雰囲気の話。)

他にも初日後パーティのときの「エレノア」のニューヨークタイムズでの酷評のときバリーが「ヒップホップがいけなかったのか?」とか笑った。
(現在の世界的大ヒットミュージカルは全編ヒップホップの『ハミルトン』)

あとすっごい好きだったのが、アンジーがエマを勇気づけるシーンの『シカゴ』のAll That Jazzのパロディ!
アンジーの「自分のザズを見つけるの」も良かった。
日本だとここ、霧矢大夢さんでしょう?観る前から最高だとわかる。


圧倒的共感枠・ホーキンス校長


ミュオタ的にバッチバチに刺さったのが、ホーキンス校長

エマとアリッサが通う高校の校長で、全編を通してエマの味方であり、教育者としてエマを心配し、エマの苦難の防波堤になろうとし、寄り添っている。
ティーンの話だからこそ、彼のように極めて良心的で理想的な「教育者」、まともな大人がまず出てくるのがすごく安心する。

でも校長、DDの大ファンだったの。
彼女が初めてトニー賞を獲った作品(作中で「月を飲み干して」とされている)のときからずっとファンで、忙しい仕事の合間を縫ってインディアナからニューヨークまで(大体1200kmの距離なので東京-札幌より遠い)遠征する、わりとガチ目の役者オタだったの。
二回目観たら、最初のほうのDDが高校に乱入したときのド派手なナンバーで、校長がちょいちょい「オタク心>職務」になってて笑ってしまった。ナンバーの中でDDに絡まれてテンションが上がってしまっている…
セス・グリーンの「信じられない、学校に侵入者を許すなんて」には私も(そうね)としか思えないけど、歌い踊るDDを止められなかったのは仕方ないんだ…推しが目の前でパフォーマンスしてたら理性は保てないでしょ役者オタだから。
あとDDに最初に話しかけるときの歩いてくDDに話しかける感じ、ステージドアかな?ってなった。

DDの「あなたは舞台に逃げているのね」に、校長が「癒されているんだ」と即答するのが「わ、わかる~~~~!!!!!!」と全わたしが言ってた。

ほんと校長のナンバーは全ミュオタに聞いてほしいし、元も含め遠征民には「わかり」がすごいと思う。
わかりすごすぎて納得しすぎて泣いてしまい、内容をあまり覚えてないのが悔やまれる。ただ、
「(忙しい仕事をこなして出掛け)舞台の幕が開きスポットライトがつくと、家に帰ってきた気分になる」
みたいな歌詞はすごい…わかる…好き…もはやこれはミュオタのアンセム

DDと校長は惹かれあうんだけど、途中、DDがインディアナに来たのはエマを救うためではなく、売名のためだった、と分かって、校長はDDに失望する。

校長の、「実際のあなたを知らなければよかった」にそうなっちゃうよねえ~!とオタクとして共感するし、「(自分がファンになった「月を飲み干して」の)あの役のときのあなたはそうじゃなかった!」と言いだすし、あれよ、オタクの目からは推しが滅茶苦茶すぐれた人に見えてるよね!わかる!って共感するし、推しに「落ちた」ときの役のイメージっていつまでも残ってるよね!わかる!って共感しまくっていた。

DDはつくりものと現実を混同しないで!って怒るんだけど、結局、校長の前で、(校長が自分のファンになったという作品の)ラストシーンのパフォーマンスを再現する。
おたくの夢か????
自分の推しが、自分が推しに「落ちた」ときの作品のパフォーマンスを、自分のためだけにやってくれる。夢か??????
正直、校長、このパフォーマンスの時点で落ちてたと思う。
個人的な交流なしにしても、たまにまた遠征しちゃうくらいにはオタク心が揺れてたと思う。
で、駄目押しに「(私が善人になるためには)教え導いてくれる人が必要だわ。先生」ってDDに言われる。いや夢か?????????
長年の推しが自分のためだけに最高のパフォーマンスをしてくれた上に、これ言われるの。
校長に共感しまくっていた私も一緒にDDに落ちたわ……

余談だけど、校長たぶんステージドアでDDの出待ちしたことあると思う。
DD忘れてるけど、校長はそのときの思い出と出待ちでもらったサイン滅茶苦茶大事にしてるよ…


気になるところとか


校長とDDの関係、「教え導く者」として男性、「導かれる者」として女性が配されてるの問題ないか?と考えたのだけど、このくだりの前にDDが、15年連れ添った元夫がそもそもDDのお金目当てだった、愛されてなかったことに凄く傷ついてるシーン(「だから私から別れたの。今もお金をやってる」)が出てくるからなぁ…DDは愛されたい女だし、男なんかいらないをやるには尺が足りないよね…と思ってた。
そして思い出した、DDたちが高校にやってきて一曲ブチ上げるとき、DD「この物語の主役は私じゃない。そう彼女、エマ!」って歌ってたわ。
DDの行動に引っかかる観客がいること織り込み済みだったわ。
(DD、『サンセット大通り』のノーマっぽくもあるし、うっかりすると死亡フラグ立ってしまうもんな…)
(12/20追記)二回目観たらDDの心情がわりとスルッと入ってきて。
最初の「エレノア」大コケして飲んだくれてるときのアンジーTwitterのバズで「恋人とプロムに行きたいレズビアンの女の子」と読み上げた瞬間、DDはにこっとするんだね。その後アンジーが「PTAの反対を受けてプロムは中止に」って読み上げると、DDは顔しかめるの。この十代の少女を微笑ましく見守る表情からの、「ひどい…」っていう率直な義憤の流れが良かったな。
メリル・ストリープのDDは、傲慢でエゴイスティックだけど、率直な義憤と、フィクションの力を信じる純粋さも持ち合わせてるという造形なんだと思った。

あと引っかかったのが、加害者としての男性の影が薄いな…と。
男性はみんな加害するというわけではなく、女性は色んな立場や思考の人が物語の中に存在するのに、男性はバリエーションが少ないのでは?という話。
かたき役はPTA会長でアリッサのママである、ミセス・グリーン
最初のほうでエマに「男ふたりと交換しない?」って声かける無神経な男子生徒以外、伝聞形式になってしまう感じ。
かつて、バリーが自分がゲイであることを両親に打ち明け「治療を受けるように」言われたこと。今のバリーが母と和解できたとき「お父さんは、まだ」とだけママが言う。
名あり男性キャラはみんなエマの味方だな…と思っていた。
これの判断は難しいなと思う。たぶんフィナーレのみんな歌って踊って大団円!を前提に作ってて、父親はやはり子の性指向を受け入れがたいと思われてるのか…?だから大団円の邪魔だからそもそも配されなかったのか?
これに関しては舞台版知らないしなんとも言えない…もう一回映画観て、考えたい。