観劇記録

戦う者の歌を聴かせて

もし自分が観劇をした直後にCOVID-19に感染していることがわかったとしたら

もし自分が観劇をした直後にcovid-19に感染していることがわかったとしたら、正直に申告をしますか?

興味本位で始めたアンケートだったけど、思ってた以上の回答数が得られて、かつ結果や反応に思うところがあったので書いてみます。

JINROを観劇していた女性の年齢、職業、観劇回数まで報道されて、さらにSNS上で責められているのを見て、私はつらかった。
明日は我が身と思ったから。
それで、もし自分が陽性になったとして、正直に申告できるだろうか…と思い、フォロワーはどうなんだろう?と取ったアンケートの結果がこちら。

https://twitter.com/t_o_fu/status/1283621030536155138

およそ半分の人が「観劇したことを言わないと思う」と答えています。
(聞き方がそちらに誘導しているかもしれない、ごめんなさい。設問作ったときにここまで広まると思ってなかったんです)
私や、私のフォロワーは観劇するおたくが多いから観劇に限った聞き方したけど、観劇おたくは人よりちょっとチケットの取り方と劇場の場所に詳しいだけの一般人だと私は思っています。
つまり、母集団がどんな集団でも、おおよそ似たような結果になるんじゃ?

単純に、二人に一人の感染経路が追えなくなる可能性がある。
これは多分、相当やばい。
日本ではクラスター対策として、陽性者の行動範囲の追跡をして第一波を乗り越えている。
このやり方が通じなくなってしまう。
このクラスター対策自体が個人の倫理観に頼ったものではあるのだけど。

「正直に申告しないことはけしからん」とか、そんなことを言うつもりはありません。
そもそも、陽性者の個人情報を流す報道に問題があると思うから。
私は、6月までは「自分が知らずに感染していて、他人に感染させるのが怖い」と思ってた。でも今は「感染したことを責められるのが怖い」です。

劇場は2月以来、ずっと世間から厳しい目で見られてきました。
私たちおたくは劇場を守りたいと思ったし、クラファンに寄付したり、配信に課金した人も多いと思う。
世間の誰にとって必要なくても、私たちには、劇場が必要だから。私たちは、あの場所を必要としてるから。
そしていよいよ劇場が動き出した直後でのJINROでのクラスター発生、「劇場クラスター」という言葉で括られ、個人情報を晒されて責められる怖さ。
陽性≒社会的死。
たぶん重症化するリスクが低い人、高リスク者が周囲にいない人ほど、社会的死への恐怖が高まっているんじゃ、と思う。

関連して、このツイートも反応あったので置いておきます。

https://twitter.com/t_o_fu/status/1283622437658091526

陽性がわかると、社会的死どころか経済的に死ぬ人もたぶんいる。
さっきも書いたけど、観劇するおたくは一般人だから、お金に困らない人もいれば不安定な雇用形態の人もいるだろうし。

ここまで敢えて「観劇したことを言わないと思う」と答えた人の側で書いてきました。
アンケートで「劇場で感染したとは限らないし、言わないとさらに広がる」とコメントをくれた人もいましたが、記名アンケートなら「正直に観劇したことを言う」に票が集まったでしょう。
でも匿名だからこそ、みんなの恐怖が反映されてるんだと思います。

正直に行動を申告するか否かが、現状では「社会の保全・倫理観」と「自己の保全・社会的死への恐怖」の二者択一になってしまっているので、半々の結果になるのは人間の性質として当然なのだと思います。
でも、本来はこの2つが対立するのがおかしいんだと思う。

この2つを対立させているのは「陽性者を責める視線」です。
陽性者の行動に過失がなかったか、状況に、立場においてふさわしくない行動がなかったか、粗探しをする視線。
誰だって責められたくない、社会的に死にたくない、怖い。
恐怖という情動はとても強いものです。それが自己の保全のために「言わない」という選択を取らせる。

アンケートの反応でちらほら見ましたが、「観劇したことを言わないと思う」と答えた人を責めたりしても何にもなりません。
そもそもこの回答自体が「責められることへの恐怖」から来ています。
怖がってる人をさらに怖がらせてどうするって話で。

また、断絶も無益です。
JINROのクラスター発生への反応で、舞台関係者やファンの中で、あんなの舞台じゃない、みたいな反応がある。
やっちゃったと思ってるからか、後出しのように情報が出てくるのも良くないし、その情報を見る限り、製作会社に問題がある(私はモリエールは好きです)。
大手製作会社はだいたい足並み揃えていて、どこも神経を尖らせて対策して、やっと劇場が動き出したところでのJINROのクラスター発生だから、一緒にされたくないのもわかる。
でも、切り離しても何も解決しない。

切り離し、断絶した上で責めることは「断絶されたほう」と同じ属性を持っていたり、それを好きな人を萎縮させます。
具体的にいえば、イケメン舞台の製作会社、その舞台のファンを萎縮させます。
萎縮させ、恐怖させれば、本来いちばん必要であるはずの「何が悪かったのか、劇場での感染拡大を防ぐために何ができるのか」という情報共有が難しくなります。
また、残念ながらクラスターが確認されたとき、感染経路を追うことが難しくなります。
「観劇したことを言わない」という選択肢になっていく。誰だって責められたくない、社会的に死にたくない、怖い。

私たちはコロナの時代を生きています。
それは目に見えないウイルスと戦う恐怖とともに生きるということです。

目に見えないウイルスと戦う恐怖は、ウイルスを自分とは遠いものとしておきたい心理となって、陽性者を自分のテリトリーから切り離して断絶し、責める行為になります。
(劇場そのものを責めたりする世間の声には自分の正しさに酔っていたりする人もいると思いますが、目に見えないウイルスと戦う恐慌から過激になっている人もいるでしょう)

責められるほう、断絶されるほうは、責められることを恐怖し、断絶から逃れようとする。
責められることを恐怖するあまり、「言わない」という選択肢を取ってしまう。

これは長期戦です。
私たちは、恐怖を飼い慣らす訓練をしなければならないのだと思います。

最後に

もし自分がCOVID-19に感染していることがわかったら、きちんと行動を保健所に申告しましょう。
感染は指数関数的に広がっていきます。
多くの製作、スタッフ、役者が神経を尖らせて感染対策をしています。
対策していたにも関わらず、直前になって関係者に陽性者が出たために中止となった公演がいくつもあります。
彼らの努力と無念をファンが台無しにしてはいけないと思う。
申告することが、劇場の未来を守ることになります。

でも私は、社会的死への恐怖から申告できない人を責めようとは思いません。
申告するのが正しいのは言うまでもない、だけど恐怖という情動は強い。
ことこの局面において、人を責めることに意味があるとは思えません。
誰かを責めることは何かを成すことではありません。自分の小さな道徳心が満足するだけのことだと思っています。

私はレミゼのおたくだから、来年のレミゼが無事開幕できるように自分が出来ることをしていきます。

あと陽性者の個人情報いらんわっていうのを報道機関にメールしてきます。たぶんこれ、この記事の中で一番大事。