観劇記録

戦う者の歌を聴かせて

Les Misérables 2021/6/5M

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Happy Barricade Day 2021

二宮ファンテ

ファンテ、工場のところで、エプロン自分でほどいたあと、ファクトリーガールに奪われるじゃない?二宮ファンテはここでエプロン返してってファクガに追い縋ってて、二度とエプロンが自分の手に渡らない予感=追い出される予感を彼女は感じてる…って思う。
二宮ファンテは、「この淫売が出てけ」の前に「市長!市長!!」って呼ぶからすごくバルジャンの責任が大きくなる気がする。
てか他の工場の女の子たちと良い意味で何も違わなくて、だから誰もがファンテになりうる→その彼女を苦しめた責任がバルジャンにかかってくる、みたいな。
とくにシュガバルはその責任をすっごく背負う人だからさ。
「見てよ遊んでるわ」で二宮ファンテかなりコゼットの幻覚見てる度が高い。バルジャンの言葉で現実に帰ってきてる。

佐藤バルジャン

シュガバル19年のとき「神が遣わした人」のときしんどそうだったけど今年逃げないよね。
ファンテが死んだあとすごくその死を背負うような、苦しい顔してた。
シュガバルの日によって違うなあって思うのが落ちた砦に対する態度で、この日は砦見上げて「ああ…」って言ってた。(逆に砦一切見ないでマリウスしか眼中にないときもある)

竹内マリウス

プレビューのときに「慶應幼稚舎出身東大卒マリウス」みたいな感想がTwitterで回ってきてて分かる…と思ったし、佇まいから役の背景がうかがい知れるマリウスだなと思ってたけど、この日はより生い立ちや「人となり」の部分が立体的に立ち上がってきてて、見るたびに堅さが取れて面白くなるなと思った。さすがに若い、成長がはやい。
このマリウスは、一人っ子で、完全に隔離されて育ってる気がする。ずっと弟がほしかったのかな?ちょっとコミュ障っぽくて、パリに来て初めて友達(アベセの仲間たち)や弟(エポニーヌ)ができる。
屋比久エポとの「なにくれる?」「なんでも」のあたりで、兄弟みたいだなーって思ったんだよね。年が近い、対等感あって、友達みたいな兄弟。(妹ですらない…)
パリ、深堀治安官が「おい!」って三色旗咎めたときに飛ぶように駆けてきてアンジョの間に割って入ってたんだけど、たぶんこのマリウスは砦爆破しようとするなと思った。想像つく。
りりかコゼットと柴原モンパとの間に入ったときの「「「よわい」」」感も凄いあるから、弱いのに馬鹿度胸があるタイプ。
「サツも探してた」で本で屋比久エポの頭をポンしてから本の上下をひっくり返す。
一幕民衆の歌のあとエポに連れ出されて、エポの背中を押してエポに先に行かせたあと完全に立ち止まってた。そこでアベセの列に戻ろうと振り返る。ここまではっきり列に戻ろうとするのは珍しいなと思った。
プリュメ街でエポをくるくるしながら「僕をここに連れてきてくれてアッハハッ🎶」て笑って、お、おまえ~!ってなりました笑

鎌田司教

うまく言えないんだけど、「あなたの魂わたしが買った」のときに「裸足」であることに物凄く納得する司教だと思ってるんだよね。演出として「裸足」であることに意味がある感じ。キリスト教的には「裸足」は謙遜を示すそうなんだけど、鎌田司教の「裸足」は自分自身に対する厳しさ、なのかな…。
ここは私も宗教者でないからうまく言えなくて、ちゃんと考えたいとこなんだけど、検索してて考えるヒントになりそうなページ見つけたから繋げておく。
銀食器を戸棚にしまうときにシュガバルのこと見てて、なんか、バルジャンが盗むかもしれない、とは予感してるのかなと思った。だからといって止めることはしない、なすがまま…というか「行って為すべきことをせよ」なのかな。
「銀の燭台を使って正しい人になりなさい」バルジャンに呼びかける感じで、わかってほしさとわかってくれるという信頼を同時に感じる。導く者としての教化の意志と、寄り添う心。
この日はシュガバルで、シュガバルは「自分の中にあるきれいなものが見えなくなった人(心の中にそもそもきれいなもの・明るいものが内在する人)」だと私は思ってて、鎌田司教はそれをもう一度見つけてあげて、同時に見えなくなる過程を理解する人なんじゃないかという気がした。つまり司教もかつて、心に暗いものを宿したことがあり、克己して神に照らされる道に帰った人。
私、カマンベール観れなかったのすごく悔いてるんだけど、司教はそれ以来のはまり役じゃないかなという気がする。コンブフェールが悪かったっていうんじゃなくて、司教の「あなたの魂わたしが買った」のあと、バルジャンの魂が死んで生まれ変わる、すごくダイナミックでドラマチックな曲になるわけで、そのブースターとして、硬度の高い克己心を感じさせる鎌田司教はすごく良いという話。

相葉アンジョルラス

前にモンパルナスやってた西川大貴くんが「アンジョルラスは不思議な役。稽古場でもらしさを期待されるというか、みんなをまとめなきゃいけないみたいなものがある」みたいに言ってたんだけど、アンジョルラスって板の外で他の学生キャストと作った関係性が、それに近い形で板の上に乗る気がする。
「その役を演じるのではなく、その役を生きる」ことを要求されるレミの舞台の上の、オフマイク、視線のやりとり、一瞬の態度に透ける関係性。アンジョルラスが好きな私たちは、「作られた芝居の向こう側」を見ている、気がする。
実際はどうかわかんないから「気がする」で締めてみるけど。笑
相葉アンジョには「それでもみんな僕についてくる」みたいな選ばれし者の輝かしい魅力的な傲慢さがあって、でもなんか学生たちの中では良い意味で舐められ感というか気安さはあって…って19年で思って、今年はさらに大人としての視点があるな、って思う。
「作られた芝居の向こう側」の話になるんだけど、若い学生キャストが増えたとか、3期目だとかもあるとは思う。
今年の相葉アンジョは大人としての視点も獲得してて、命の重さも背負ってる。
この日は、竹内マリウスとの年齢差がいい感じに作用してて、弾探しのときに「(若いお前を)行かせないそれは危険だ」になるし、それでバルジャンが行くことに納得もしてる。
なのにその場で一番若いガブローシュが死んだことに衝撃を受けて座り込んで、衝撃が消えないうちにアーミーオフィサーの警告が鳴り響き、悔しくて悔しくて砦を殴り付け、歯噛みしながら砦を掴んで立ち上がり、外を見る。怒りで思考が飛んで「死のう」だった気がする。
「立つのだ」で砦の中を順に見ていって(下手の上にいるジョリも見てたね)、「仲間よ」で視線が上がり客席へ、「世界に自由を」では未来を見てる。
19年のツアーの途中(たしか博多)から相葉アンジョ最期に頭飛ぶようになった記憶あるんだけど、怒ってると同時に「死のう」は原作アンジョルラスの「命を高く売りつけてやろうよ」なのかなと思ってる。どうせ死ぬなら一人でも多くの敵を倒すぞ宣言。

持木クルフェ

一幕始まって気付いた、この日蜂組だった。(虫が駄目な竹内くんの代わりに蜂退治をしようとするも刺される持木さん、というご本人ツイートから)(最終的に川島さんが解決したっぽいけど、マリウス庇って蜂退治をするクールフェラック、偶発的に現れたグランテールにより解決という出来事、それぞれのキャラに重なりすぎておたくが沸いた)
ABCカフェは苦労性のクルフェウォッチが楽しいんですけど、テーブルに乗った丹宗グランテールの腰叩いて降りろっててやってる蜂フェさん(グランテールは全く気にしてない)面白かった。
たぶん今年の相葉アンジョが大人としての視点を獲得して、命の重さを背負ってるから、以心伝心だなぁって思ってた。
今年、スパイをバルジャンに渡したあとでクルフェがアンジョに抗議するんだけど、相葉アンジョはもちフェに仕事戻れよって腕叩いてて、それが「言わなくてもわかるだろ」に近いものを感じる。笑
BHHの最後でうなだれて少し過呼吸みたいに上半身が動く相葉アンジョが呼吸整えて振り返っての「市民は来ない」のとき、もちフェは驚きも落胆もなくて、同じこと感じてたんだと思う。「子供あるものと女達は去りなさい」でももちフェは持ち直さなくて、苦しそうに砦の中を見下ろしてた。町田学生と鈴木コンブと手を合わせるのにも時間かかった気がする。みんなを死地まで導いてしまった責任を感じてる。
ガブ死のあと茫然と砦の中を見下ろしてて、その中で鳴り響くアーミーオフィサーの声聞きながらもちフェは泣いて顔を拭ってて、悔しいんだって思った。そこからの相葉アンジョの怒りの「死のう」のときには、もちフェも泣いているし悔しくもあるし怒りもあるし、で、相葉アンジョと同調してて、以心伝心の首領と中心だった…
上山アンジョともちフェはツーカーだったけど相葉アンジョともちフェなんか…以心伝心って感じ…

覚書

・島田ファクガ、ファンテに「殺してやる」
・マリウスきたときの新井ジョリ横田プルべ「ここに座れよ」「どうしたんだ」
・ABCカフェオフマイク
?「みんなが平等であるべきだ」
もちフェ?「変えてやるんだ俺たちで」
・(アンジョ「この死を無駄にしてはならない」に対して)宇部レル「どうするんだ」
・今日砦落ちるときみんな何かしら叫んでてたぶん「フランスに自由を」は聞こえた、と思う。あれ誰だったんだ(銃声苦手であそこ頭わ〜ってなってる間にみんな死んじゃう)