観劇記録

戦う者の歌を聴かせて

Les Misérables 2021/7/23S

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1幕途中からジョリ新井くん→島崎くんにバトンタッチ。
この日は二階から観てて、改めてWho am Iでバルジャンの影が2つに別れていたものが、バルジャンが決意を固めたときに後ろがバーって開いて照明が差し込んで1つの影になるのが美しいなと思ったのだった

福井バルジャン

この日の「今こそ自由だ」が掠れていて、牢獄の苦しさや地獄のような場所から這い出てきた感じだった。
増原司教に仮出獄許可証を見せるというよりも、手に持っていたそれを無造作に滑らせるように投げていて、このバルジャンはしんどくなると全部がどうでもよく、投げやりになるタイプなんだよなあと。その後、燭台を司教に返そうとするときも床の上に投げやりに置いていた。
あとこの日気付いたのかって感じだけど、砦が落ちたあとでマリウスの脈を確かめて上を見て神に感謝してマリウスの頭を抱き締めるのがいいなあと。
あと下水道の扉を閉めてから砦見上げてた。朝には紅顔ありて夕には白骨となりぬ身なり…と思って観てたけどこれ仏教だ

リオジャベ

私は今年のリオジャベ観てるのつらいな…とずっと思ってたんだけど、たぶん仲間がいないリオンジョに見えるからだと思った。
リオンジョってたぶんただの一瞬も、自分が目指した未来も理想も疑ったことがなくて、死の瞬間も自分の理想を見ている人だったと思ってて。
リオジャベもまた、同じように死の瞬間も「自分の世界」だけを見ている。
自殺のフランス語歌詞は

「この事件が俺の道を逸らせることはできない。二種類の人間しかいない、他の人間はいないのだ」
「この世を離れたい。ヴァルジャンのようなやつを許し、ジャベールが政府のパンを盗むようなこの世界を」(渡辺諒『フランスミュージカルへの招待』91、92頁)

なんだけど、たぶんこっちの印象のほうが今年のリオジャベに近い。過去の自分/現在の自分の矛盾への相克。
だから、リオジャベの世界には自分以外なにもないように見える。バルジャンさえもいない。
自分の規範、自分の価値観に囚われて自殺していて、どこまでも孤独。
リオンジョは孤高だったけど仲間がいて、リオジャベは最後まで「俺、俺、俺」って感じがする。

二宮ファンテ

工場長に「出てけ」と言われる前にファンテが「市長!市長!」と市長が消えていった二階を見上げて叫ぶけど、二宮ファンテのこれが一番痛切な気がしていて。
彼女は自分は何が苦しくて痛いのか、言語化して認識することができない人だと思う。混乱している。だからあのとき市長を呼ぶのはクビになるのを避けたいという以上に、人望があり優しいマドレーヌ市長なら自分のこの苦境をわかってくれるはずという蜘蛛の糸を求める気持ちに近い。
ファンテが苦しいのは社会の不備である、ということを前提にして、バルジャンが「見捨てた」という印象が一番強いファンテ。

内藤マリウス&敷村コゼット

たぶん最年長のマリコゼの組み合わせだったんだけど、すごく良かった。
喪失によって「生かされている」ことを実感して成長するマリウスと、マリウスを支えることで成長するコゼット、だと思った。プリュメ街の少年少女からどんどん大人になっていく。
バルジャンの「俺のものじゃない、若くて自由」が、福井バルジャンの悲しみとともにコゼットの巣立ちを祝うように聞こえる組み合わせだった。

ふうかエポ

内藤マリウスはエポを妹みたいに思ってて、大事にしていて。
二幕あたまのミニバリケードでコゼットへの手紙を託すとき、内藤マリウスはエポを逃がしたい気持ちが出ている。
だから少し、ふうかエポの独占欲が出るというか、同じ気持ちを返してもらえないつらさが出る組み合わせだなと思ってて、恵みの雨の「マリウス、これでいいの」は「今はあなたが私だけ見ていてくれるから、これでいいの」に聞こえる。

木内アンジョ

前までもっと胃が痛そうなアンジョだったと思うけど、この日は違ってて、メンタル強くなってた。
5月の雛アンジョがもはや懐かしい…成鳥になった…たぶん猛禽の翼持ってる系アンジョ。
1幕ABCカフェ。
木内アンジョは「マリウス、わかるけれど」の前に、初恋浮かれぽんちウスに対して(こいつ本当どうするかな〜)みたいに考えてる間があって、思慮深いというのかな、色々考えてから物を言う人だと思うんだけど、ときどきスッと「何か」がよぎる、兆す瞬間があって、それが最期の「死のう」にも繋がるように見える。
カフェでグランテールがテーブル乗ったときに作成中のビラ踏まれてる宇部バオレルの背中を、それとなくぽんぽん叩きながら前に行って丹宗グランテール注意しにいったり、島崎ジョリに煽るなよって釘さしにいったり、基本的にみんなをよく見てる。
木内アンジョが「レッド夜明けの色、ブラック夜の終わり」でマリウスと握手する前に自分の胸を掌で叩いたとき、向かいの大津クラクスー学生が嬉しそうにまず自分の胸を掌でたたいて、そのアンジョの動作がじんわり染み入るように、横田プルべが胸を軽く拳で叩いてたのが、伝わっているようで良かった。
「鼓動があのドラムと響きあえば」のところでもアンジョは赤旗つかんだ手で胸を叩いていたから、あれは鼓動で、もしかしたらあのアベセの中の何かの符牒なのかもしれない。
さて、2幕砦の話。
前まで、木内アンジョは人が死ぬことを概念として理解していて、実際に人が死ぬと、その事実を前に怯んでしまうところがあったと思う。
エポニーヌが殺される、そしてスパイのジャベールを殺す(少なくとも学生たちは「俺たちがスパイを殺した」という自覚があるように思う)。
恵みの雨のあとで、グランテールがアンジョルラスに問いかけるように、責めるように見つめるところ。この視線の意味はグランテールによって違う。
丹宗グランテールはニヒリストでリアリストだと私は思ってて、だから恵みの雨のあとでアンジョを見るのは「人が死んだぞ、どうするんだ」と事実を問うてるのだと思ってるんだけど、前回観たときの木内アンジョはここでグランテールの視線避ける、みたいなとこあって。
でも今日はつらそうだけど受け止めてた。ちゃんと死を理解していて、人死にが出る覚悟を持って決起している。
バルジャンがジャベール逃したあとの銃声のときに木内アンジョは下手の花道(バルジャンが帰ってくるところ)に向かって銃を構えてて、スパイのほうが勝って銃を持ち戻ってくる可能性を考えにいれてる…とも思った。つまり、ここでも冷静で「スパイを殺した」という事実よりも自分が為すべきことを考えている。
アンジョは「死のう」の瞬間に砦に残った仲間たちの命を擲つことを宣言してるわけで、木内アンジョはこの「死のう」の前に胸を叩く動作が印象的。
1幕のカフェを思い出すと、この胸を叩く動作に通じるものが他の学生たちの間でも浸透していることによって(符牒のようだ…)、「死のう」がみんなの意志の代表のように見える。
あの「胸を叩く」という動作を色んな学生が行う→「死のう」の直前にアンジョが胸を叩く、で、あの恐慌の砦でアンジョの意図が周知され、カフェで育てたみんなの理想に、学生たちが立ち返る。
「死のう」のあとに笑わなくなったのも、元が覚悟を決めてたアンジョだからだと思う。
すごく良い砦だった。
マリウスが落ちて、丹宗グランテールに引き起こされて。そこでだけ少し笑ってた。あれはやっぱり「ありがとう」なんだろうなあ。
カフェソングの「ああ友よ聞くな散りはてた意味を」で振り返るのは継続。やっぱり晴れ晴れとしていてマリウスに向かって、後悔してないよ、って意味なんだと思う。
アンジョバイトの話。
木内労働者、運んできたあとよほど重かったのか、重かった…って話したあとで後ろに行ってたらファンテの騒ぎに乗り遅れて、小林さやかちゃんの労働者に何何?みたいに聞いてた。
木内給仕、登場そうそう左肩に葡萄をかけ増原客に見せびらかす→葡萄を落とす→落とした葡萄を大津客に見せる→森マダム「蟹がすきって言ったのよ」→蟹を2杯、手掴みで足を掴んで持っていく→断られる→蟹の甲羅を打ち合わす→突然虚空を見つめて長尾給仕さんに顔の前で拍手される→ダイナミック踊り。給仕さん、不思議ちゃんかやる気ないか反抗期になる傾向ありそうだけど、木内給仕さんはシンプルに元気いっぱい暴れん坊

覚書

・波止場のエポコゼ娼婦バイト、敷村ちゃんの膝に頭こつんともたせかけて、敷村ちゃんのスカートを手持ちぶさたにつんつんするふうかちゃん、の図が野良猫の姉妹みたいで良かった…

・町田香水屋さんと門田鳩ちゃんがよろしくやってるときに持木肉屋さんが体を屈めて覗き込むの、久しぶりに見たけど何回見ても「よしなさいwww」って草生やしてしまう

・鈴木コンブ、映画のキリアン・ドネリーのコンブフェールを彷彿とさせません?